ジダンの頭突きに思ふ
W杯決勝でのジダンが頭突きをした件で、ここへ来てその真相(なんだろうか?)が発表されました。それによりますと、イタリアのマテラッツィが「それよりもおまえの姉さんが欲しい」と言ったとか。
このニュースを聞いて思ったのは、頭突きがどうのとか、サッカー選手としての態度がどうの......といった問題ではなく、「姉さん」という単語です。
あたしはイタリア語は詳しくありませんので英語で(←英語もしゃべれるわけじゃありません!)考えてしまいますが、英語では「お姉さん」って単語ありましたっけ?
あたしの記憶では姉と妹を区別しない(兄と弟も同じ)というのが英語の表現だったような覚えがあります。このことは、かつて何かの本だったと思いま すが、日本や中国のように長幼の序を、呼び方の上でも厳密に区別する民族性と、そうではない欧米などの民族性とを比較したエッセイで読んだ記憶がありま す。
民族性や文化といったことにまで広げてしまうつもりはありませんが、イタリア語でも姉妹を区別しないのであるなら、どうしてニュースでは「姉」と特定しているのでしょうか?
このニュースの第一報を聞いて、あたしが一番最初に思ったのはそのことです。疑問に思ったと言った方が正しいですね。もちろん、「英語はそうだろうけど、イタリア語はちゃんと区別するんだよ!」と、イタリア語に堪能な方が教示してくだされば疑問氷塊なんですけど......。
こういう言葉に関心が行ってしまうというのも、やはり商売柄なんでしょうか(汗)。
ちなみに、最近何かの拍子にふと思ったのですが、「機嫌」という名詞、ふつうは「機嫌がよい」「機嫌が悪い」というように形容詞を述語にとって使いますが、この場合、「機嫌」という単語には好悪などの評価のようなニュアンスは含まれていないと思います。
ところが「ご機嫌だね」というと、この場合は通常の日本語ではほぼ百パーセント「よい状態」を表わし、悪い状態であることはまずあり得ません。
「だね」は断定の助詞だと思われますから、ここに判断があるとは思えません。
となると「ご」という一文字がついただけで、意味の上でプレーンだった単語に価値判断が付け加えられたということでしょうか? でも「ご」ですよ、「ご」!
この「ご」って「御」ですよね? 単なる丁寧さを表わす接頭辞じゃないんですか? なんで、それで価値判断がされてしまうのでしょう? やっぱり丁寧さを表わすわけだから、そこにはよいニュアンスが含まれるんだ、ということでしょうか?
そう考えると「御」がつく単語(御+単なるプレーンな名詞)で、悪いニュアンスの単語ってありましたでしょうか? すぐには思いつかないですねえ。
継続審議にします(笑)。
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