2012年7月14日

あっちでもこっちでも

学校でのイジメが原因と思われる自殺のニュースがテレビや新聞でも多数報じられています。

イジメはよくない、いけないことだとはわかっていますし、教師や学校は何をしていたんだという非難もわかります。

でも、他人をいじめるような子供に育ててしまった親の責任はどうなのでしょうか? 学校や教育委員会に文句を言う前に、いじめっ子の親がもっと糾弾されてしかるべきではないかと思ったりしてしまいます。そもそも学校が辛くても、それをケアできるような家庭環境はなかったのだろうかと思います。

ところで、数年前、テレビでいじめ問題を取り上げた番組があり、スタジオの一方に芸能人や評論家といった「大人」が、もう一方に一般の中学生が座って議論を交わすというのがありました。

大人たちの言い分はいつもどおりです。どんな理由があろうとイジメはいけない、もってほのかだというものです。対する中学生の方は「いじめられる当人にも問題がある」にイエスと答えた人が思いのほか多かったのです。この回答に大人たちは驚いたようなリアクションをしていましたが、あたしはむしろ納得していました。

いじめている人はもちろん批判されますが、しばしば「なにもしないで見て見ぬふりをしているのもイジメだ」と言われます。でも、なんで子供たちは見て見ぬふりをするのでしょうか? 下手にかばうと次は自分がイジメられるから、というのが最大の理由でしょうが、また少なからぬ子供が「あの子はいじめられても当然だ」と思っているからではないでしょうか?

大人たちがイジメを議論するとき、いじめられている子にもいじめられるだけの理由があるという視点を持つことは必要かつ大切なことではないでしょうか。もちろん、現にいじめられている当人にとっては、自分にも非があると認めることは辛いことでもあり、哀しいことでもありますが......

ちなみに、これは勝手な理屈ではなく、体験談です。

あたしも学生時代、小学校の時からクラスメートには好かれていませんでした。昨今のイジメと呼ばれるほどの陰湿なものは、あたしの時代にはありませんでしたが、嫌われる辛さに変わりはないと思います。

そのあたしが言えるのは、やはりあたしは嫌われて当然の人間だった、もしあたしが他人であれば、やはりあたしのことを嫌っていただろうなあ、ということです。いじめられる、嫌われる人間にはそれ相応の理由がある、たぶん大人だって社会を見渡せば簡単に理解できることだと思います。

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