2012年4月27日

常識と非常識の間?

京都で無免許の未成年の少年が集団登校の列に突っ込んで、という事故、事件がありました。亡くなられた方、怪我を負った方はたいへん気の毒だと思いますし、未成年とはいえ、どうやら常習性がありそうなので、一緒に乗っていた友人ともども厳罰に処するべきだと思います。

ところで加害者の少年は無免許であったとはいえ、取ろうと思えば免許を取れる年齢なわけですよね。免許は取れるのに事故を起こしたときは少年法で守られるというのは、なにか法律の整合性がとれていないような気がします。この事件、果たしてどういう結果になるのでしょうか?

そして、そういうこととは別に、被害者の電話番号を加害者の父親に教えてしまったということで、地元警察署や被害者通っていた学校の教頭が非難されています。個人情報云々という問題は、話がまたややこしくなるので置くとして、加害者の親、あるいは本人が被害者に謝罪したいと思って連絡を取るのは非常識だとして、これほど非難されることなのでしょうか?

十数年前に亡くなったあたしの父も晩年交通事故に遭いました。横断歩道もない道路を渡ろうとした父にも過失はありますが、相手の男性の過失が8割くらいと認定されたのではないかと思います。この事故の時、わが家には加害者男性の弁護士だったか保険会社の人から連絡があり、治療費のことなどの説明を受けました。

ただ、こちらとしては、そんなことよりも、まずは当人が謝りに来るのが筋だろうと思い、そう伝えましたが、代理人はすべてを一任されているので直接連絡を取ることはできません、と言うのです。確かに被害者家族の中には逆上して何をしでかすかわからない、双方頭を冷やすためにも少し時間をおいてからの方よい、という理屈もわかります。でも、そんなことよりも何よりも、まずは相手に謝ることが日本人的な心情というものではないでしょうか?

結局、あたしの父の場合、だいぶたってから加害者本人が菓子折を持ってわが家に謝罪に来てくれましたが、別に菓子折なんか要らないから、すぐに謝罪して欲しかったと今でも思います。警察の人や保険会社の人から「当人も申し訳なかったと思い、深く反省しております」といくら聞かされても、こちらは信用する気にはなれません。もちろん、こちらの前では殊勝な言葉を吐いて、裏では舌を出しているような加害者もいるかもしれませんが、やはりまずは当人の言葉を聞きたいものです。

こういう感覚、あたしがおかしいのでしょうか?

でも、そうとは思えません。多くの人がそう思うのではないでしょうか? もちろんレイプ犯の顔など二度と見たくないという被害者女性、といった事件の場合はまた異なるでしょうけど、今回のような交通事故であれば、当人に謝ってもらいたいと思う気持ちもあるのではないでしょうか?

ましてや今回は加害者本人ではなく、その親です。親の立場からすると、自分の子どもが起こしてしまった事件に対し、とにかくすまなかったと思い、取るものもとりあえず、まずは被害者の方に直接お詫びしたいと思ったとしても、それはおかしくもなんともなく、ごくごく自然な感情だと思います。

なので、こういう行為を自然な感情だと思ってしまうと、被害者の方の連絡先を教えてくれますか、と聞かれたら、もしあたしがこの警察官や教頭の立場であった場合、今回の件と同じように教えてしまったのではないか、という気がします。

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