2012年3月25日

車内のケータイマナー

最近はメールやゲーム、SNSがメインだからなのか、あまり電車の中で携帯電話で話をしている人を見かけなくなりました。一時は確かに車内アナウンスでも注意喚起をしていましたし、車内の携帯電話マナーについていろいろ議論も起こったものですが、それすら過去のもの、という気がします。

ただ、車内でケータイで話をしている人がいなくなったわけではなく、やはりしばしば見かけはします。それでも、かつてのように大声で怒鳴るように話をしている人はやはり少なく、口元を押さえ、多少は周囲に気を遣っているような雰囲気が感じられます。運動の効果もあったのでしょうけど、なんとなく自然と落ち着くところに落ち着いた、というところでしょうか。

で、先日のことですが、延慶回りで中央線に乗っていたときのこと。すぐ近くに立っていた大学生くらいでしょうか、少なくとも社会人とは思えない格好の男性、要は若いあんちゃんが、乗り込んでくるとじきに携帯電話で話し始めました。かかってきた電話なのか、かけた電話なのかは気づきませんでしたが、久々に車内で携帯で話をしている人を見かけました。

その人自身は、それほど大きな声で話をしているわけではなく、かといって周囲に気を遣っている風でもない様子でしたが、ふと考えました。いえ、昔から思っていたことでもあるのですが、なぜ車内のケータイは周囲の人をいらつかせるのだろうか、ということです。

まず音量として考えるならば、不可抗力とは言え、電車自体が出している音が一番大きくてうるさいはずです。次に、車内でしゃべっている人の声もケータイで話している人に負けず劣らず、うるさい時はうるさいものです。ここで個人差があるとは思いますが、同じうるさくても車内で友人同士でしゃべっている声よりも、ケータイで話している声の方に不快感を感じる傾向があるということが不思議に思います。

かつてのケータイマナーの運動の時から思っていましたが、単にうるさいというだけなら、車内でしゃべっている人だって十分うるさい人はいるのに、なぜ携帯電話を使っている人が槍玉に挙げられているのか? 電車内において新参者だからでしょうか?

声の大きさよりも内容でしょうか? 確かに、「そんな話、わざわざケータイで今すぐ伝えないとならないことか?」と思えるような会話も漏れ聞こえますが、これだって車内で話している人のたわいもない会話と五十歩百歩だと思います。

結局、毎度毎度同じようなことを考えては、結論も出ず、電車を降りることになっています。たぶん、社会学者との人とか心理学者の人は既に考えてくださっているのでしょうけど、寡聞にして、納得のいく理由を読んだことがありません。

もちろん、心臓ペースメーカーなど医療機器の誤動作防止という点からの「ケータイ禁止」の方は理由は納得できます。ただし、これも話をしていないだけで、わざわざ携帯電話の電源を切っている人はほとんどいないのが現状ではないでしょうか?

ただこちらについても、本当に誤動作を起こすのか、きちんとした実験結果って読んで記憶がないのですが......


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