2012年3月17日

河内源氏と海外文学

ようやく『武門源氏の血脈』を読了しました。思いほのか時間がかかってしまいましたが、面白かったです。

ところで、比較的源氏とか平家とか、日本史は好きなので、このあたりの時代も嫌いではありません。しかし、それにしても「義」のつく名前の多いこと! たぶん苦手な人は、誰が誰だかわからなくなってしまうでしょうね。

ふと、そんなことを思いながら読んでいて気づきました。

中国の小説を読んでいると、水滸伝や三国志でもそうですが、似たような名前が多すぎて、こんがらがってしまうという感想を聞かされることがあります。あたしのように中国専門に学んできた人間にはあまり感じることのない感覚なのですが、中国フリーク以外には、中国人の名前ってそんな風に感じるみたいです。

でも、考えてみますと、あたしだって中国以外だと、お隣の韓国・朝鮮だって人名がごっちゃになりそうです。漢字表記の名前で出てくればまだしも、カタカナで書かれたらアウトですね。そして、韓国以上にロシアをはじめとした海外文学には名前で躓くことが多いものです。海外文学が苦手な人の多くが、人名が覚えられないという意見を述べますが、確かにそうなのでしょう。

どこの句にだったか忘れましたが、子供の名前は親の名前に何かを加えて命名するという習慣があると聞いたことがあります。変な決まりだなあと思ったものですが、今回、源氏の本を読んでいて、「義」の字がやたらにつく人名が登場し、日本のことをよく知らない外国人から見たら、これなども同じような命名ルールに見えるのではないかと思いました。

徳川将軍の「家」の字も同じようなものでしょう。そう考えると、いまでも日本人の名前には、親の一字をもらって子供に名づけるという習慣が意外と残っていることに気づきます。我々は「家康」で一つのまとまりと感じていますが、外国人から見たら「家+康」と受け取るのかもしれませんから、二代将軍・秀忠は例外として、「家光」「家綱」と続くのは「家+α」という命名規則があると理解されていることでしょう。

源氏の本を読みながら、こんなふうに海外文学について想像が飛躍してしまいました(笑)。

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