2012年1月26日

ここから明らかなように......

講談社学術文庫の『デカルト、ホッブズ、スピノザ』読了。

興味深い三人の名前がタイトルになっているので、中身の難しさも考えずに買って読み始めましたが、やはり西洋哲学の基本を勉強していないと難しいです。どうして、そういうことにこだわるのか、なんでそんな風に考えるのか、すべてが中国思想とは異なります。

そこが哲学と思想の違いなのでしょうか?

一番苦労したのは、「ここから明らかなように」と、それに類する記述です。「えーっ、そんなんで何が明らかなのよ?」と言いたくなることばかりでした。あたしの頭の中では、まるっきり明らかになっていませんし、そのまま次へ進まれても困るのです(汗)。

しかし、時にこういう知的リハビリと言うのでしょうか、ガチガチの西洋哲学にどっぷりつかるのも悪くありません。脳が活性化する域には達していませんが、普段は使わないところを使っている気がします。

そして、思うのです。やはり人文書は歯応えがあるし、簡単には読ませてくれないな、と。こんなささやかな文庫本一冊でもこれほど手こずるのですから......

これに比べると、多少分厚くても文芸書は読みやすいどころか、いとも簡単に読めます。ロシア文学などの長篇だとそうは問屋が卸さないのかも知れませんが、一般的に話題になっているような文芸書はあまりにも簡単に読めてしまうものだと改めて感じます。

決して文芸書を軽んじているとか、人文書よりも下に見ているわけではありません。たぶn人文書、哲学書に慣れ親しんでいる人には、ベタな青春小説の方がよっぽど理解不能な内容と感じるのかも知れませんから。

それでも出版社の人間の立場で考えると、文芸書については簡単に書店の人にコメントを頼みやすいけれど、人文書はそういうわけにはいかないなあ、とつくづく感じました。

難しい、わからないと言いつつも、次は『フェルメールとスピノザ』を読みたいなあと思いつつ、とりあえず中公新書の『フランス文学講義』を買って読み始めてしまいました。

ちなみに、『デカルト、ホッブズ、スピノザ』の215ページで『フェルメールとスピノザ』が引かれていますが、こちらはジル・アイヨーの作品で、上に挙げたのはジャン=クレ・マルタンの作品です。ジル・アイヨーの方は小説や評論ではなく演劇のようですが、詳しいことはよくわかりません(爆)。

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