2011年12月22日

今年一年を?

昨日は人文会の12月例会にして忘年会・懇親会でした。今宵の会社の忘年会が残っております亜、対外的な忘年会はこれで一切終了です。

飲み会は嫌いではありませんが、終わりの時間があってなきが如くにずるずる、だらだらと飲むのは嫌いです。ですから二次会なんてもってのほか。せっかく楽しく美味しく懇親の時間を堪能できたんですから、スパッと終わって解散にすればよいものを、といつも思います。

もちろん極力二次会は行きませんが、あの一次会の終了を「中締め」と呼ぶのはやめてもらいたいものです。中締めではなく、締めでよいはずではないですか!

と拳を振り上げていないで、閑話休題。

その例会、当然今年最後の例会だったので、最後に各自が一言ずつ「一年を振り返って」的な感想を述べ合いました。やはりというか、それしかないと言うべきか、ほとんどの人が触れたのが「3・11」です。あの日以降、さまざまな会合で挨拶する人は必ずこの未曾有の災害に触れます。やや聞き飽きた感はありますが、それほど大きな出来事だったのでしょう。

ただ、あたしにとってはあの震災、ほとんど気持ちにも生き方にも影響を与えていないのです。そりゃ周りの人が影響を受けている以上、間接的にあたしにだって影響はあるでしょうが、あたし自身が自覚する限り、生き方とか考え方がその前と後で変わったという感じは全くありません。

確かに、知り合いこそ仙台にいましたがとりあえずは無事で、東北方面に肉親はおりませんから、切実感がないせいかもしれません。もちろん東京で取り立てて被害を受けたわけでもありませんから、「いつもよりは大きな地震があった」というだけの記憶です。

あれだけ多くの人が死んだのに、と言われても身近に死者がいない以上、実感がわきません。それこそ今もこの瞬間に世界の各地で紛争や戦争、飢餓や病気で多くの人が死んでいることと感覚としては同じです。そういう一瞬一瞬の死に対して何も感じないように、今回の震災に対してもこれといった感情の高まりというのはありませんでした。

しかし、例会での他の人たちの発言を聞いていると、あたしは自分が怖くなります。あたしってこんなにも無感情な人間だったのか、人の心の痛みがわからない冷たい人間だったのか、世間の多くの人と気持ちの共有ができない人間だったのかと、そう思えてなりません。

かといって、半年以上たち、もうじき一年になろうという今ごろ、あらためて悲しむような感情がわいてくるはずもないですし、喪失感も感じようがありません。

国民全員が悲しむ必要なんかないんだ、むしろ悲しみの押し売りはある種のファッショだ、といった評論家を気取った発言をしたいわけではありません。確かに震災に対しては変な発言は慎まなければならない、嫌な空気が支配している気はしますが、だからといってそれを非難、批判したいとも思いません。

例えば、家族が被災したら、あるいはそのために命を落としていたら悲しむのだろうか、と考えますが、たぶん悲しみよりも喪失感の方が上回るような気がします。十数年前に病気の父を亡くしたときがそうでしたから。でも、それだってどのくらいのものかわかりません。

とりあえずは、自分の身の回りでは大きな被害に遭った人がいなかったという幸運を感謝すべき(←誰に?)なのでしょうか?

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