2011年12月 5日

「友達になる」

最近はやりのfacebook。

一応あたしもやっていますが、なかなか知り合いが見つかりません。いや、いわゆる仕事上の知り合いはそこそこ見つかります。自分の「友達」の「友達」に知っている人がいたりしますので、案外簡単に見つかったりします。

見つかりませんと上に書いたのは、いわゆる最近のネットで話題になっているような、昔の友達、クラスメート、あるいは元カレ・元カノといった人のことです。(ちなみに、くどいようですが、あたしには元カノも元カレもいません!)

別に必死になって検索しているわけではないから見つからないのかも知れません。ふと思い出したように高校名とか大学名を入力して検索するだけなので、膨大な検索結果をすべて見ていくのに疲れてしまって、ちょっとスクロールしたら諦めてしまっていたりします。名前で検索すればよいのかも知れませんが、既にフルネームを正しく覚えていないので、とりあえず学校名で検索して、なんとなく見覚えのある名前が出てくれば、という姿勢だからいけないのかも知れません。

ところで、あたしは別に「友達」を増やそうと思っているわけではありません。かつてミクシィでマイミクが少ないのは格好悪いから、百人以上のマイミクを作ったといった都市伝説的な話を聞いたことがあります。その話は高校生の間で言われていたことらしいです。マイミクの少ない子=友達のいない寂しい子というレッテルを貼られるのがイヤだったようです。

facebookにもそういう流れが来ているのかわかりませんが、見ていますと数十人はおろか、百人以上の「友達」がいる人が意外といます。友達百人できるかな、とは子供の頃の歌ですが、実際にそんなに「友達」ができたら、果たしてfacebookにしろミクシィにしろ有効なツールとして機能するのでしょうか?

「友達」になると、その人の書き込みがあたしのウォールにも表示されます。数人、あるいは十数人でしたらある程度追えます。時にはコメントをつけることも可能です。でも、数十人、それこそ百人を超えるようになったら、とても把握できなくなるのではないでしょうか?

もちろん、「友達」の全員が頻繁に書き込みをしているわけではないでしょう。ほとんど何も書き込まない人もいるのではないかと思います。でも、それだったら逆になんのためにfacebookなどをやっているの、という気がします。

別に「友達」が少ないからひがんでいるのではなく、実際に実用的で適正な人数ってどの程度なのだろうか、とそう思います。

そう言えば、昔々の話、届いたメールにすべて目を通し、必要なものに返信を書いているだけで一日が終わってしまう、なんて笑えない話も聞いたことがありますね。

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