2011年10月21日

審美眼?

毎年この時季になるとテレビの中継で紅葉を見かけます。東京に住んでいますと、ローカル番組では日光や箱根の紅葉が中継されることが多いのですが、この数年、どうも美しく感じられません。

関東周辺のことだけなのか、それともたまたま中継された場所が悪いのか、少なくともテレビで見ていて「この紅葉はきれいだなあ」と思えるような紅葉を見た記憶がほとんどありません。それにもかかわらず、スタジオで中継を見ている司会者やゲストは「きれいですね」という決まり文句を連発しますし、中継先に出ているリポーターにしろ、インタビューを受けている一般の人にしても紅葉を堪能しているようなのです。

あたしは別に自分が美に対する優れたセンスを持っていると主張したいわけではありませんし、そんな才能も持っているとは思えません。もちろん実際に目の前で見たらきれいなのかもしれません。でも昨今の技術の進歩を考えますと、テレビカメラを通すときれいに見えない、ということはないと思います。

数年前、紅葉の季節に東京の奥庭、高尾山に行きました。ちょっと紅葉しているところもありましたが、まったくきれいではありません。きれいとは感じられません。にもかかわらず、高尾山に来ている他の観光客の人たちは盛んに「きれいねえ」と言っているのです。

わざわざこんなところまで出かけてきたのだから、きれいなものを見たと自分に言い聞かせないとやってられない、という心境なのでしょうか。数名のグループで来ていて、一人のメンバーがきれいだと言い出して皆が同調すると、一人だけ異論を挟むことは出来ないようです。

しかし、あたしはやはりきれいには感じられません。紅葉がどこもきれいでないと言うのではありません。きれいな紅葉を見せているところはいくらだってあるでしょう。ただテレビ中継されるところを見ている限り、あたしはここ数年、テレビを通してはきれいな紅葉を見たことがないのです。ちなみに、「そうだ、京都、行こう」のCMの秋の京都の紅葉も、CGで修正していますよね?

とそんな風に思っていたところ、たまたま読んでいた岩波文庫の『和辻哲郎随筆集』に、あたしの思っているとおりのことを書いている箇所を見つけました。
秋になって、樹々の葉が色づいてくる。その黄色や褐色や紅色が、いかにも冴えない、いやな色で、義理にも美しいとはいえない。何となく濁っている。爽やかさが少しもなく、むしろ不健康を印象する色である。秋らしい澄んだ気持ちは少しも味わうことができない。あとに取り残された常緑樹の緑色は、落葉樹のそれよりは一層陰鬱で、何だか緑色という感じをさえ与えないように思われる。ことに驚いたことには、葉の落ちたあとの落葉樹の樹ぶりが、実におもしろくなかった。幹の肌がなんとなく黒ずんでいてきたない。枝ぶりがいやにぶっきら棒である。たまに雪が降ってその枝に積もっても、一向おもしろみがない。(P.238)
これは和辻哲郎が東京の樹木について書いている文章です。たぶんこの文章が書かれたころには東京でも郊外へ行けば、それなりの紅葉は楽しめたのではないかと思います。でも現在では更に進んで、ちょっと郊外に行っても、いや日光や箱根にまで行っても、かつての東京市街のような状態になってしまっているのではないでしょうか?

紅葉は単に赤ければよいと言うわけではありません。赤に橙、黄色、それらのバランスが肝心です。もちろんそれぞれの色の鮮やかさ、爽やかさも必要ですし、常緑樹の緑色も欠かすことはできません。それなのに、今年の紅葉は単に茶色く汚れているだけという印象を受けます。台風のせいで塩水を浴びたからだという説もありますが、どうなのでしょう?


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