2011年9月16日

彼我の差

文春新書『松井石根と南京事件の真実』読了。

たぶん、多くの日本人は「松井石根」という四文字だけを見たら、これが人名だとは思わないだろうし、「まつい・いわね」と正しく読むこともできないでしょう。しかし、中国では、特に南京では誰でも知っている(←という表現にかなりの誇張はあるかも知れませんが)単語であり、そこには「日本のヒトラー」という枕詞が付くようであります。



中国の歴史認識や歴史教育についてはいろいろ問題があるわけですが、今はそういった問題をおくとして、本書を読むと松井石根という人の生涯がほぼわかります。ただ、タイトルにある「南京事件」についてはさらっと書いてあるだけで、「つまり、真実は?」と問い返したくなる内容でした。

南京事件、一般には南京大虐殺と言った方がわかりやすいのかも知れませんが、そのことが至極あっさりと、否、ほとんど触れられていないという本書の記述は、つまりは世間で言われているような、あるいは中国政府がことさら強調するような計画的、集団的虐殺はなかったということを示しています。

確かに、これは松井石根自身も認めていることですが、末端の兵士が中国の一般人に対して略奪、暴行、殺人を行なったことは事実でしょう。ただ、それは筆写も書いているようにどこの戦場でも見られる範囲でしかなかったと思われます。避難区域(国際安全区域)への日本軍の侵略、これはかつて北京で見た映画「南京大屠殺」(←VHSでは「南京1937」というタイトルですが、あたしが北京で見たときには確かにこのタイトルでした。日本の女優・早乙女愛が主演でした)にも描かれていましたが、ある程度はあったのでしょう。なにせ、中国軍の方が国際法違反を犯して民間人に紛れ込んでいたわけですから、それの掃討をしないと日本軍としては安心して統治できません。

などなど、大虐殺はあったのか、なかったのか、どちらの側に立つにせよ、あたしは松井石根がこれほど中国を愛していた、中国のことを案じていたのなら、どうして中国の人々の気持ちを汲めなかったのだろうか、と思います。一部の(大多数の?)中国蔑視にとらわれた軍人や日本人はいざ知らず、松井石根をはじめ中国に知己もおり、中国の行く末を案じている日本人の知中派、親中派が、もう少し中国人の気持ちを斟酌して大陸政策を立てられなかったものかと思います。

そこが、松井石根をはじめとした、当時の中国通の限界だったのでしょうけど。

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