2011年9月30日

自転車とタバコ

お笑いタレントが、ブレーキのついていない自転車で公道を走ったとして反則切符を切られたそうです。なんでも、公道を走る自転車は前輪と後輪、両方にブレーキがついていないといけないのだとか。

ふつうに自転車を買えばブレーキはついているでしょ? と思いがちですが、競技用の自転車は本来はブレーキがついていなくて、それがファッショナブルだということで若い人の間で人気になっているそうです。なので、購入後に自分でブレーキを取り外してしまっている人が多いようです。

恐らく、ブレーキをつけないまま売っている販売店も案外多いのではないでしょうか? 客にブレーキを渡して、「きちんと自分でつけてくださいね」と形だけの注意喚起をして、ブレーキのついていない自転車を売っている販売店があるのだと思います。

そもそも競技用でなくとも、自転車のブレーキは素人でもドライバーで簡単に外せそうなものばかりという気がします。オシャレだからという理由で簡単に取り外せてしまうのもどうかと思いますが、やはり乗っている人のモラル低下、自分勝手さが最大の問題なのでしょう。

そういえば、情報番組などでもこのところブレーキなし自転車の話題を取り上げているのを何回か見ました。警察が取り締まりを強化しているから、というのもあるでしょうけど、やはり身近な問題として事故が多発しているというのもテレビが取り上げる一因なのでしょう。

自転車愛好家のマナー向上に期待するのが一番ですが、中には「自転車も、クルマのように免許制にしたらよい」という意見も一部では出ているそうです。確かに自転車は車両の一部。一方通行などの標識にほぼ必ず「自転車を除く」という但し書きがあるのは、それがなければ自転車も自動車と同じように走ってくださいねという意味ですから、やはり自転車も車両なのだとわかります。

しかし、これだけ身近な自転車が免許制になったら面倒ですよね。子供のころ、お兄ちゃんやお父さんに後ろを支えてもらって自転車に乗る練習をした記憶って、多くの人に共通でしょう。免許制になったら、たぶん基本は学科試験のみだと思いますが、ああいう素朴な触れあい、想い出がなくなってしまわないでしょうか?

そんな、なんでもかんでも規則、規則で縛るな、という意見もあるでしょう。確かにそう思いますが、そこで思い出しました。タバコの路上喫煙禁止条例です。

タバコの路上喫煙も、本来はマナーの問題だったはずです。それが喫煙者のマナーには頼っていられない状態だったので規則になってしまったわけです。でも、恐らく「喫煙場所以外では吸わないように」というマナーを守れない人って、一部の喫煙者だけですよね。多くの愛煙家の人は、喫煙所以外では、たとえ禁煙という表示がなくても吸うのを遠慮していたはずです。

ほんの一握りのマナーを守れない人のせいで、その他多くの人まで巻き添えになる。なんか自転車のマナー問題を見ているとタバコと同じ構図が見えてきます。恐らく、ブレーキなし自転車を乗っている人は自転車愛好家の一部の人でしょう。多くの人は歩行者やクルマに迷惑をかけないように気を遣って走っている気がします。結局、タバコの時も自転車も、とばっちりを食うのはまじめにマナーやルールを守っていた人。正直者が馬鹿を見る社会にどんどん突き進んでいる感じです。

ちなみに、わが家の近所も自転車に乗っている人が多いですが、ブレーキなしはあまり見かけません。そのかわり、夕方や夜間の無灯火運転が非常に多いです。これはおじさんもおばさんも、若い人も学生も満遍なく存在していて、かなり危険を感じます。

でも、一番嫌いなのは、タバコを吸いながら自転車に乗っている人です。

2011年9月29日

感謝と絆

年末恒例、今年を表わす漢字は、恐らく「絆」で決まりだと思うのですが、どうでしょう?

さて、昨晩は、フジテレビ系の人気バラエティ「ヘキサゴン」が最終回でした。最後の卒業式の模様だけテレビをつけたらやっていたので見ましたが、誰も番組終了のきっかけを作った紳助について触れないんですね。気持ち悪かったです。

何人かの出演者は、誰が見たってこの番組のお陰、島田紳助のお陰で人気者になったはず。今回の暴力団騒動はともかく、人として島田紳助に感謝の意を述べるのはふつうではないでしょうか? それを波風立てないようにというつもりなのでしょうか、自粛するのは却って不自然、行き過ぎ、やりすぎという印象を受けます。

それはそうと、その卒業式シーン。多くの出演者が述べていたのは、番組が終わってもヘキサゴン・ファミリーの絆が切れるわけではなく、これからも仲良くしよう、といったセリフです。

仲良きことは美しきかな。

しかし、なんとなく白々しい感じを受けてしまうのはあたしが天の邪鬼だからでしょうか。番組の収録で定期的に同じメンバーが会うというのは、ある種クラス、学校のような連帯感を作り上げるものなのでしょう。それがプツンと無くなってしまうのは確かに寂しいのかもしれません。

が、あたしなど小学校、中学校、高校と、卒業で寂しいと感じたことはないですし、むしろ清々した気分の方が大きかったです。それに、卒業しても仲間だよ、などとは決して思うこともなく、卒業したら、はい、それまでよ、金輪際会うことはない、という気持ちでした。絆なんて、最初からあるはずもないです。

そういう目で見ると、この卒業式シーン、あたしには非常に気持ち悪く、偽善的な気がしてならない、そんなシーンでした。

2011年9月28日

そうとは限りません

こんな記事がありました。

妹がいる男性が醸しだす独特の優しさ9パターン

自慢じゃないけど、いや、確かに何の自慢にもなりませんが、あたしにも妹がいます。それも一つ違い、いわゆる「年子」というやつです。

小さいころから徹底的に見下し、バカにし、罵って、奴隷扱いしてきましたので、「醸しだす優しさ」など微塵もありませんが......

【1】物わかりの悪い相手でも、仕事や勉強を根気強く優しく教えてくれる。
【2】「しょうがないなぁ?」と言いながら、女性のわがままを嬉しそうに聞いてくれる。
【3】失敗したときなど、慣れた手つきで頭をポンポンと撫でてくれる。
【4】「気をつけて帰れよ」「寒くない?」など、面倒見の良さそうなセリフが自然に出る。
【5】お店の人へのクレームなど、言いにくい・やりにくいことを率先してやってくれる。
【6】重い荷物を持ってくれるなど、「女性は男よりも弱い」ことを理解している前提で接してくれる。
【7】いつでも優しい口調で接してくれる。
【8】なんでもない雑談を、ニコニコしながらちゃんと聞いてくれる。
【9】髪型や服装などの変化にすぐ気づいて、ほめてくれる。

わあ、見事に一つも当てはまらない! むしろ、すべて真逆という気すらします。それはそれで立派かも?

つまり、妹がいるというだけで、勝手な先入観を持ってはいけないということでしょう。

今日の配本(11/09/28)

震えのある女
ポール・オースターの妻の闘病記です。それを文学作品にしてしまうとは。

完全版 写真ノ話
旧版に大幅に加筆して、完全版の登場です。
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