2011年8月26日

文庫化

昨日のダイアリーで、日本の近代作家の作品が軒並み単行本では残っていないと書きました。アンソロジーなどを探せば単行本で手に入るのかも知れませんが(あとは、有名作家の全集でしょうか?)、基本的には稀有な例で、実際のところ手に入らないという書き方で間違ってはいないと思います。

では読みたい人はどうするのかと聞かれれば、文庫本を買ってくださいと答えるより仕方ありません。ところでこの文庫本、いまやいろんな出版社からいろんな文庫が出版されていて、必ずしも小説、文芸作品だけとは限らない状態ですが、とにかく毎月毎月数え切れないほど出ていますね。

この文庫本、採算とれるのでしょうか、とれているのでしょうか?

出版社によっては原価計算の方法や基準は異なると思いますが、常識的に考えて、単行本の方が採算は取りやすいはずです、初版はともかく重版以降は。たとえば、ページ数にもよりますが、2200円くらいの単行本なら1000部程度の重版が可能であっても、800円くらいの文庫本ですと5000部や7000部作らないと十分な採算がとれないでしょう。

一部の有名作家は別として、2200円の本を3冊売るのと、800円の文庫本を20冊売るのではどちらが簡単でしょう。内容にもよればジャンルにもよりますので一概に比較はできませんし、あたしは書店員ではないので軽々に結論を言うことは出来ません。

ただ、これを出版社の側から見たらこうなります。需要予測をしてみたときに、「1000部だったら、ある程度は売れるから採算割れになることはないだろう、よし重版しよう」という思考回路が働きます。が、「いくら800円という安さでも、さらに5000部売れるほどの需要はないだろう、じゃあ重版は見送ろう」という思考回路が働きます。つまり、単行本なら残るのに、文庫本だと残らない、残せないという状況です。

無理に安い定価をつけた本は、万単位で売れる見込みが立たないと重版ができませんから、最初に一回作ったらそれっきり、市場から本が売り切れたら、もう手に入らないことになります。もちろん、いくつかのベストセラー、ロングセラーのようにいつまでたっても万単位、数千単位で売れる本は重版が可能ですから(重版しても売れますから)残ります。でも、大多数の本は一回印刷されてそれっきりというのが通例です。

なのに、出版社はどうして文庫を競って出すのでしょう。読者の側から見たら、手軽で安い文庫や新書は買いやすいというメリットがあります。最初から文庫や新書という形態を意識して書かれたもの、書き下ろしはよいとしても、どうして単行本で出ていた本を次から次へと文庫にしてしまうのでしょうか?

例外はもちろんありますが、2200円の単行本を800円の文庫に仕立て直したからといって、購入しようとする読者の数にそれほど大きな変化があるとは思えません。少なくとも上に挙げた、1000部と5000部(実際にはもっと差が大きい場合もあるでしょう)の差になるほど購入者が増えるという保証はありません。

むしろ、今後も微々たるものとはいえ、少しずつは興味を示す読者が増えるとき、その微々たる数の読者の需要に応えるには単行本のままの方が小回りよく重版ができると思います。実際に重版するかどうかは出版社の判断や改めて計算してはじき出した採算点によりますが、少なくとも文庫よりは重版の可能性は高いはずです。

出版社の人間として、文庫化というのは果たして本の将来にとって正しい道なのか、疑問に思うことがしばしばです。安いから買いやすいという消費者の声を除けば、利益幅にしろ、作りやすさにしろ単行本の方がいいわけですから、出版社にとっても書店にとってもメリットは単行本の方にあると思うのですが・・・・・・

ただ、ここまで基本的に重版1000部と書いていましたが、昨今の出版不況はそれすらも許されない状況です。正直に言えば、300部とか400部の重版で採算がとれるのであれば重版できるけど、700部や800部でも厳しい、ましてや1000部なんて夢のまた夢というのが現実です。

で、結局は電子書籍になってしまうのでしょうか? 確かにそれは解決方法の一つではあると思いますが、それでいいんだろうか、という思いもあります。


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