2011年8月 7日

米文学好き必聴!

昨晩は、ジュンク堂書店新宿店にてトークイベント。先日刊行した『紙の民』の記念トークイベントで、同書訳者の藤井光さん、藤井さんの師匠に当たる柴田元幸さんによる、師弟トークとなりました。(会場には、なかなか豪華な面々が聴きに来られていらっしゃいましたし・・・・・・)

が、のっけから、最近のアメリカ文学の潮流について、柴田さんが藤井さんに尋ねまくっていて、感心することしきり。「彼は僕が読んでいない作品をどんどん読んでいる」といった趣旨の発言が、柴田さんの口から何度も発せられました。

柴田さん曰く、アメリカの作家や文学は、よかれ悪しかれアメリカというものを引きずってきたのがこれまでだったそうで、それはアメリカを離れた人も、アメリカへ渡ってきた人にも共通していたそうです。全員が全員、あるいはどの作品もがそうであったというわけではないのでしょうが、とにかくメインストリームとしてはそういう流れがあったようです。

それに対して最近は、まるっきりアメリカを感じさせない、アメリカが後景どころか、まるっきり見えない作品が徐々に出てきているというのが藤井さんの見解。アメリカを無視して書いたとしても、無視するという行為に既にアメリカの影響が表われているわけで、最近の作品はそうではなく、まるっきりアメリカというものが感じられないものが増えているそうです。

これが柴田さんには衝撃だったようで、もちろん柴田さんもそういう流れは感じていたのでしょうけれど、このところ精力的にそういった作品を日本へ紹介されている藤井さんから話を聞いて、かなり驚かれていたようです。アメリカ文学の大きな変化ではないかとまでおっしゃっていました。

このあたりのトーク、アメリカ文学専門ではないあたしなどにも非常に興味深く、ワクワクした気持ちで聞けました。大学などで英米文学を専攻している学生さんだったら、昨夜のトークイベントは卒論のヒントがそこら中に転がっているような内容だったのではないでしょうか?

さて、話は文学談義に移っていきましたが、個人的にはアメリカ文学が変わっているのかどうか、その背景は何なのか、そういったことに関心が向かってしまいます。やはり冷戦終結後の世界秩序の流動化、新興国・中国の台頭など、唯一の超大国としてのプライドも自信も揺らぐようなことばかりがアメリカに起きているのが、多かれ少なかれ影響しているのでしょうか?

柴田さん、藤井さんの話を聞いている限りでは、アメリカを感じさせない作品が出てきたのは必ずしも9・11の後というわけではないようです。それ以前からあったみたいです。となると89年のベルリンの壁崩壊、つまりは東西冷戦の終焉が、やはり一つの大きなきっかけになったのでしょうか?

すべてを政治に引きつけて考えてはいけないと思いますが、でも、そんな風に思えます。

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