2011年7月26日

中国高速列車事故

いろいろと日本国内でも言われていますが、それ以上に今回ばかりは中国国内でも相当非難の嵐になっているような高速列車事故。事故原因についてはそのうち明らかになるのか、闇から闇へ葬られるのか、全くわかりませんが、亡くなった方はお気の毒です。

あたしは、きっかけとして落雷などの天災があったのは認めますが、事故それも大事故になったのは人災だと思っています。ちょっと日本では考えられない、まさしく「中国独自技術」のなせるわざではないでしょうか。

また今回の事故で「中国版新幹線に乗車」を謳ったツアーが軒並み中止になっているというのもうなずけます。これだけ事故やトラブルが続いたらちょっと怖いですよね。そう言えば、北京と香港を結んでいる特急は、かなり人気でしたけど、あれは事故のニュースって聞きませんね。青蔵鉄道も大きなトラブルのニュースってあったでしょうか? ここへ来て華東沿岸地域の高速列車で続発しているというのも、不思議な気がします。

しかし、中国の列車事故と聞いて、今の若い人はもう上海列車事故なんて思い出さないのでしょうか? いや、そもそも知らないのでしょうね、あの事故のことを。1988年3月に起きた事故です。

あたしは鮮明に覚えています。このダイアリーでも書いたことがあるかもしれませんが、その時、あたしも上海にいましたから。正確に言いますと、ニアミスだったのですが、すぐ近くにいたことは確かです。

あの事故は高知県の高校の修学旅行だったはずです。事故があったのが何時だったかは知りませんが、あたしはその日の晩に列車で上海に入ったのでした。あたしは西安から洛陽、南京を経由して上海入りしたので、たぶん彼らと同じ線路を通ったのか、あるいは違ったのか。

上にリンクを貼ったウィキペディアの記事を読みますと、彼らは中国に到着してまだ1日目くらいだったようですが、あたしは4週間の語学研修を北京で終え、一週間の卒業旅行(?)中でした。北京を発ち、洛陽、西安を回って上海に着いたのです。西安からは26時間近い寝台列車の旅でした。

この北京から洛陽、西安の旅の間、かなり多くの日本人高校生の団体を見ました。北京の街にもいました。見るからに修学旅行できている感じで、語学研修の仲間は北京の街中でしばしば通訳を頼まれていました。(あたしは中国人と間違われたのか全く声をかけられませんでした。)

上海に着いた、あたしの所属する語学研修班は翌日に日帰りで蘇州へ行きました。上海に戻ってきて番にテレビを見ていたら、ニュースで日本から家族がやってくるといったようなことを報じていました。何か起きたらしいということはわかりましたが、まさかあんな事故になっているとは。

帰国後にニュースのあらましを知り、あたしは洛陽や西安で見かけた高校生たちが事故にあったのだと思っていました。なにせ、ほとんど旅程がかぶっていましたから、あたしたちよりも一日早く西安を出て上海をベースに動いていたのかな、と思ったのです。

結果的には違ったようですが、そんなわけで当初あたしは自分が数日前まで見かけた高校生が犠牲になったものと思い込んで、ショックというか身近というか、とにかく遺族を除けば日本人の中ではかなりこのニュースを自分に近く感じたものです。

ちなみに、あたしたちの卒業旅行は当初は飛行機を使うはずでした。ところが、語学研修の期間中に中国国内機の事故が続いたので急遽列車に変わったのでした。そうしたら、この列車事故。笑うに笑えない状況でした。

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