2011年7月25日

「子」について

昨日の朝日新聞で、確か作家の湊かなえさんだったと思うのですが、弁当男子の「子」について書いていらっしゃいました。朝日新聞ではこのところ、「いい年をして、女子って言い方はどうよ」的な記事が時折掲載されていますが、確かにこのところ「草食男子」「女子会」といったように、大の大人に対して「男子」「女子」という言葉が使われています。

男子や女子という言い方は、確かに「クラスの男子」といった感じで、ものすごく学生生活と親和性の高い単語だと思います、少なくとも日本語では。「子」って付くんだから、大人に使ったらヘンだよ、という感覚もよく理解できます。

ただ、中国古典や中国語を勉強していたあたしには、あまり違和感がないといいますか、何をそんなに目くじらを立てているんですか(?)という気がしないでもありません。孔子や老子を持ち出すまでもなく、中国古典では大の大人に対する「子」という言葉は頻出します。接尾辞と言ってしまってもよいと思いますが、学ぶときには「先生とか立派な大人の人という意味を持っています」と説明されます。

これではまるっきり「子供」とは真逆ではないですか! はい、そうなんです。ですから大人に「子」を使うことにあたし自身はそれほど違和感を感じないのです。ただ、「大人」を表わさない「子」もありまして、現代中国語ですとはっきりしているのですが、日本語になっているものでも「椅子」「餃子」などの「子」がそれに当たります。これらの「子」には、もちろん立派な大人という意味はありません。ただ単純に接尾辞です。

つまり、「子」の字から「子供」だけを連想するわけではないということで、そうなると「40すぎて女子ってイタイよね」という違和感というか、こだわりも消えてしまします。

しかし、男子はともかく、日本語では「女子」を使う単語は多くないですか? 男性社員と言うのは普通ですが、女性の場合は女性社員よりも女子社員を多く使う気がします。男子書店員とは言いませんが、女子書店員は比較的耳にすると思います。

たぶん、これって、やはり男性中心目線、女性を一段低く見る意識の現われなのかな、と思えます。そう言えば、「女子供」とか「婦女子」という、女性と子供を一緒くたに扱ってしまう、それも男性に対して半人前的な含意の言葉がありますからね。

そういうところを、世の敏感な女性などは嗅ぎ取って、やたらと「女子」という言葉が氾濫することに違和感を感じるのでしょう。となると、最近「男子」が増えているのは、男子も「子供」と同列に扱った方がよいと思えるくらい幼くなっているってことなのでしょうか?

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