2011年5月29日

冤罪

布川事件の再審で無罪が確定したというニュース。この十年くらい、冤罪で逆転無罪というニュースが目につく気がします。

警察や検察のあまりにも杜撰な捜査や裁判過程は当然糾弾されるべきでしょうし、この間、人生の大切な一時期を奪われた元容疑者(←こういう表現が正しいのかどうかわかりませんが、とりあえず)への保証、賠償も考えないとならないのではないでしょうか? もちろん本人だけでなく、その家族も筆舌に尽くしがたい苦労をしたと思いますので、そういったところもケアしてあげないと、ただ単に「無罪だ!」「冤罪だった」と言っても、なんの慰めにもならないのではないでしょうか?

さて、この手のニュースが目につくと書きましたが、こういうニュースを聞くにつけ、もちろん「罪を犯してもいないのに犯人扱いされてかわいそうだな」と思う反面、本当にこの人は犯人ではないのだろうか、という思いもあります。

確たる証拠がなければ無罪とするという法律上の解釈は理解しております。疑わしき派罰せずという言葉も知っています。でも、「冤罪だった」「晴れて無罪を勝ち取った」と喜んでいる人たちの一方で、「では、あたしの家族を殺した真犯人はどこにいるの?」という思いを抱いている被害者家族もいるわけですよね?

犯罪があった以上、必ずどこかに犯人はいるはずで、そりゃ数十年前の事件ですから、いまさら調べても何も出てこないかも知れませんが、やはり「真犯人はどこにいる? 誰なんだ?」という思いがわき起こってきます。

それと、証拠はないものの、そして強引な取り調べはもってのほかですが、その人が犯人だと思った警察側には、いわゆる刑事の長年の勘というものがあったと思います。それって、裁判では何の証拠能力もないでしょうけど、でも、もしそんな「勘」と呼ばれるものがあるとすれば、それなりに信頼できるのではないだろうか、とも思ってしまうのです。

冤罪だったと喜んでいる仮面の裏で、「しめしめ、これで晴れて無罪、完全犯罪成立だ」とほくそ笑んでいる、そんなことってないのでしょうか? 可能性として、今回冤罪だったということになった二人、法律的には無罪なんでしょうけど、事実としてこの二人が犯人であるという可能性が全くゼロというわけではないんです、よね? だって、いまだに捕まっていない真犯人がどこかにいるわけですから。もちろん、きちんと調べたら、この二人にはアリバイがあって犯行は不可能だった、というのであれば話は別ですが・・・・・・

とにかく冤罪のニュースを聞くたびに、真犯人の行方が気になって仕方のないあたしです。

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