2011年5月12日

一時帰宅したら・・・

福島の原発事故で、放射能のために自宅を離れている被災者の一時帰宅が行なわれたというニュースをテレビで見ました。いま現在非難している方たちって、地震や津波で自宅が破壊されている地区もあれば、そういう被害はほとんど受けてなくて、ただ放射能のせいで非難している人もいるんですよね。

いずれにせよ、そう簡単に放射能がなくなるような状況にはなっていないわけですから、宮城などの津波被災地区同様、長い長い道のりになりそうです。

あたしは、一生の中で、いま住んでいる場所、家が最も長く住んでいる土地なのですが、学生の頃、いわゆる「多感な時期」というのを過ごした土地ではないので、愛着がないわけではないですけど、故郷と呼べるわけでもなく、執着があるわけでもありません。ニュースで生まれ育った土地を離れたくないというインタビューを見たり聞いたりするにつけ、あたしには理解できない感覚だなあと思ってしまいます。

こんなところにも、被災者の心に寄り添えないあたしが、ひょっこりと顔を出すのです。

それと、帰宅した人たちが持ち帰ったもの、持ち帰りたいもので、アルバムや写真を挙げている人が多いのに驚きました。

印鑑や通帳、カードなど持ち出せなかった貴重品を持ち出すのは当然として、あたしだったわが家を見回して、何を持ち出すだろうかと考えてしまいます。上に書いたように、家がどれくらい壊れているのか、その程度にもよると思いますが、とりあえずは仏壇の位牌かな、などと思います。

少なくとも写真やアルバムを持ち出そうとはこれっぽっちも思いません。ボランティアの人が瓦礫の中から見つけ出してきれいにしてくれても、「余計なことをしてくれた」なんて思ったりはしませんが、特別ありがたいとも思いません。

もともと室内に写真を飾るという習慣がないし、思い出の家族写真といったものもありません。もちろん、あたしは結婚していないので、自分の配偶者や子供の写真などもありません。くどいようですが、恋人がいたこともないので、恋人とデートや旅行に行ったときの思い出のスナップなども当然一枚もありません。

そして、なにより昔から写真に写っている自分が嫌いなので、自分の写真など一枚残らずなくなってくれても構わないとさえ思います。ですから、アルバムを撮りに行きたいという被災者の気持ち、全く理解できないのです。

写真と言えば、せいぜいのところ中国で撮ってきた写真くらいでしょうか。いまの北京、上海とは全く異なる、少し前の街並みが写っているのは、そういう写真撮っている人もたくさんいるでしょうけど、それなりに貴重な面もあるかな、と思ってますので、それは持って帰りたいと思うかも知れませんが、執着するほどのレベルではありません。少なくとも自分が写っている写真は要りませんんで。

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