殉教者?
昨日は午後から、ビンラディン死亡のニュースで世間というか国際情勢は持ちきりだったのでしょう。ちなみに、「ラディン」でしょうか、それとも「ラーディン」ですか? それに「ウサマ」なんでしょうか、「オサマ」なんでしょうか?
やはり外国語の発音をカタカナで表記するというのは難しいものだと、語学書出版社の立場から改めて思ってしまいます。そのうち日本のマスコミの表記も統一に向かうのかも知れませんが、今のところはバラバラとまではいかないですが、まだ各社ごとって感じですね。
でも、カタカナで書き表わそうとするからってことですけど、他国ではどうなのでしょうか? カタカナ同様、表音文字のお隣・韓国のハングルでは表記の揺れはないのでしょうか? 中国はどうですかね? 人民日報の表記が基本となるのでしょうけど、個人ブログなどネットでは必ずしも統一されているとは限らないと思います。それでも中国だとすべてを漢字で書くわけですから、悪意に満ちた漢字を選ぶこともあるかもしれません。
いや、欧米などはどうなのでしょう? フランス語やイタリア語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語などでビンラディンを表記する場合、表記の揺れってないものでしょうか? こういう表記の揺れって日本だけの減少とは思えませんが、実際のところはどうなのでしょうか? (そう言えば、ずいぶん前に「エイズ」の中国語漢字表記が、「愛」から「哎」に変わったというのを聞いたがことがあります。)
ああ、やはり商売柄なのか、こういったことが気になってしまいます。職業病ではないでしょうけど、宿痾でしょう(笑)。さてさて、そんなことは置いておいて、ビンラディン殺害によって国際情勢はどうなるのか、今朝もあちこちのニュース番組で意見が出ています。
個人的に思うのは、彼がある種の象徴的な人間であることは確かでしょうけど、彼の死によって何らかの事態が終息するとは思えません。少なくとも、国際的な自爆テロの流れ、昨今の紛争状態が一気に解決に向かうとは思えません。
むしろ、テレビで専門家が言っていたように、報復的なテロが起きる可能性の方が高いでしょうし、イスラム世界ではラディンが殉教者に祭り上げられてしまうのではないかという懸念の方が心配されます。実際のところ、イスラム世界の人から見れば、彼は「あの憎いアメリカに鉄槌を喰らわせた英雄」なのでしょうから、彼の遺志を継ごうという人は大勢いるのではないでしょうか。もちろん、イスラム世界もそれで一枚岩というわけではないでしょうけど。
第一、この十年、血眼になってアメリカは彼の行方を追っていたわけですけど、イラクのフセインの時もそうでしたが、アメリカ自身、自分たちがなぜイスラム世界でこんなにも嫌われているのか、そのことに対する真摯な反省というのはあったのでしょうか? 自分たちは常に正義であるという思いで思考停止しているように見えることがしばしばあるのですが、それでは「ビンラディンは仕留めたけど」というだけのことにしかならないのではないでしょうか?
さて、そういう昨日の午後、あたしの勤務先では取り立てて、「へえー、そうなんだ」といくらいにしかこのニュースを受け止めていなかったのですが、一本の電話で空気が変わりました。それはある書店からの注文の電話でした。
二年ほど前に出した『倒壊する巨塔』という上下本の注文でした。
出た当時は書評も出て、ガンガン売れた本ですが、ここ最近は落ち着いた動きになっていました。ですから、この本の注文、それもややまとまった数でしたので、「何か動きがありましたか?」と、逆にこちらが書店員さんに聞き返してしまったくらいです。
すると、その書店員さんは、「ビンラディンが殺害されたのでコーナーを作ります」という返事。そこではたと思い出しました。この本、9・11に至るドキュメントなのですが、そのかなりの部分をビンラディンの評伝というか生い立ちに割いているのです。この本がビンラディンの伝記だと言っても、ある部分では正解と言えるような本です。
「ああ、そうか。この本は、改めて今こそ読んでもらいたい本だ」という思いと共に、「こりゃ商機だ」という思いがわき起こりました。在庫は十分にありますから、早速チラシを作り、書店にファクスで送信です。その一方、ふだん顔を出している書店さんなどに電話をして上の事情を話し、コーナー作りに如何ですかと、押しつけがましくならない程度に同書をお薦めする電話攻勢です。
ある書店員さんと電話で話していましたら、当時、あたしの勤務先のこの本以外にも数多くのアルカイダ本、ビンラディン本が出されたみたいですけど、いざ今回のニュースを機に書店店頭でコーナーを作るに当たって選書をしようとすると、かなりのものが「賞味期限切れ」で並べられないとのことでした。むしろ、改めてこれから出版される本に期待するしかないか、とまで言う方もいました。
そんな中、『倒壊する巨塔』は、今も通用するしっかりした内容の本ですから、店頭に並べていただいても何ら遜色ないでしょう。これから陸続と出版されるかも知れない一連の本と比べても決して引けを取らない本だと思います。あと『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』なんて本もありますが、さてさて書店員さんたち、店頭でどんな風にコーナーを作るのでしょうか? 切り口と選書の違いを見比べるのも一つの愉しみです。
やはり外国語の発音をカタカナで表記するというのは難しいものだと、語学書出版社の立場から改めて思ってしまいます。そのうち日本のマスコミの表記も統一に向かうのかも知れませんが、今のところはバラバラとまではいかないですが、まだ各社ごとって感じですね。
でも、カタカナで書き表わそうとするからってことですけど、他国ではどうなのでしょうか? カタカナ同様、表音文字のお隣・韓国のハングルでは表記の揺れはないのでしょうか? 中国はどうですかね? 人民日報の表記が基本となるのでしょうけど、個人ブログなどネットでは必ずしも統一されているとは限らないと思います。それでも中国だとすべてを漢字で書くわけですから、悪意に満ちた漢字を選ぶこともあるかもしれません。
いや、欧米などはどうなのでしょう? フランス語やイタリア語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語などでビンラディンを表記する場合、表記の揺れってないものでしょうか? こういう表記の揺れって日本だけの減少とは思えませんが、実際のところはどうなのでしょうか? (そう言えば、ずいぶん前に「エイズ」の中国語漢字表記が、「愛」から「哎」に変わったというのを聞いたがことがあります。)
ああ、やはり商売柄なのか、こういったことが気になってしまいます。職業病ではないでしょうけど、宿痾でしょう(笑)。さてさて、そんなことは置いておいて、ビンラディン殺害によって国際情勢はどうなるのか、今朝もあちこちのニュース番組で意見が出ています。
個人的に思うのは、彼がある種の象徴的な人間であることは確かでしょうけど、彼の死によって何らかの事態が終息するとは思えません。少なくとも、国際的な自爆テロの流れ、昨今の紛争状態が一気に解決に向かうとは思えません。
むしろ、テレビで専門家が言っていたように、報復的なテロが起きる可能性の方が高いでしょうし、イスラム世界ではラディンが殉教者に祭り上げられてしまうのではないかという懸念の方が心配されます。実際のところ、イスラム世界の人から見れば、彼は「あの憎いアメリカに鉄槌を喰らわせた英雄」なのでしょうから、彼の遺志を継ごうという人は大勢いるのではないでしょうか。もちろん、イスラム世界もそれで一枚岩というわけではないでしょうけど。
第一、この十年、血眼になってアメリカは彼の行方を追っていたわけですけど、イラクのフセインの時もそうでしたが、アメリカ自身、自分たちがなぜイスラム世界でこんなにも嫌われているのか、そのことに対する真摯な反省というのはあったのでしょうか? 自分たちは常に正義であるという思いで思考停止しているように見えることがしばしばあるのですが、それでは「ビンラディンは仕留めたけど」というだけのことにしかならないのではないでしょうか?
さて、そういう昨日の午後、あたしの勤務先では取り立てて、「へえー、そうなんだ」といくらいにしかこのニュースを受け止めていなかったのですが、一本の電話で空気が変わりました。それはある書店からの注文の電話でした。
二年ほど前に出した『倒壊する巨塔』という上下本の注文でした。
出た当時は書評も出て、ガンガン売れた本ですが、ここ最近は落ち着いた動きになっていました。ですから、この本の注文、それもややまとまった数でしたので、「何か動きがありましたか?」と、逆にこちらが書店員さんに聞き返してしまったくらいです。
すると、その書店員さんは、「ビンラディンが殺害されたのでコーナーを作ります」という返事。そこではたと思い出しました。この本、9・11に至るドキュメントなのですが、そのかなりの部分をビンラディンの評伝というか生い立ちに割いているのです。この本がビンラディンの伝記だと言っても、ある部分では正解と言えるような本です。
「ああ、そうか。この本は、改めて今こそ読んでもらいたい本だ」という思いと共に、「こりゃ商機だ」という思いがわき起こりました。在庫は十分にありますから、早速チラシを作り、書店にファクスで送信です。その一方、ふだん顔を出している書店さんなどに電話をして上の事情を話し、コーナー作りに如何ですかと、押しつけがましくならない程度に同書をお薦めする電話攻勢です。
ある書店員さんと電話で話していましたら、当時、あたしの勤務先のこの本以外にも数多くのアルカイダ本、ビンラディン本が出されたみたいですけど、いざ今回のニュースを機に書店店頭でコーナーを作るに当たって選書をしようとすると、かなりのものが「賞味期限切れ」で並べられないとのことでした。むしろ、改めてこれから出版される本に期待するしかないか、とまで言う方もいました。
そんな中、『倒壊する巨塔』は、今も通用するしっかりした内容の本ですから、店頭に並べていただいても何ら遜色ないでしょう。これから陸続と出版されるかも知れない一連の本と比べても決して引けを取らない本だと思います。あと『戦禍のアフガニスタンを犬と歩く』なんて本もありますが、さてさて書店員さんたち、店頭でどんな風にコーナーを作るのでしょうか? 切り口と選書の違いを見比べるのも一つの愉しみです。
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