2011年5月 1日

堪能三連発[前編]

風が強いですね。埃が舞って目が開けていられません。

よりによってこんな日に、いやでも、風を除けばよい天気、暑くもなく寒くもなく出かけるには調度よい陽気のうららかな五月晴れの日曜、上野へ行って来ました。

はい、まずは東京国立博物館で今日から始まった「写楽展」を見に、です。

本来ならとっくに始まっているはずが、東日本大震災の影響で開催が本日からに変わってしまいました。どうせならゴールデンウィーク初日である金曜からにすればよかったのに、と思うのはあたしだけではないでしょう。

最初の一部屋はやや混雑していましたが、その後はそれほどの混雑もなく、じっくりと作品を堪能できました。今回の展覧会、少し前に六本木のサントリー美術館に見に行った蔦屋重三郎展と重なる部分もあります。ただし、今回は写楽に絞った展示ですので、写楽好きならこちらの方が愉しめるでしょう。

今回の展示でまず面白いところは、同じ役者の絵を写楽と同時代の絵師の作品で見せるという趣向です。豊国はさすが、写楽に匹敵する画力を示していると感じますが、春英はこの二人に比べると数段落ちるという印象を受けました。あくまで、あたしの感性ですから、好き嫌いはあるでしょうが。

またその次に、よく言われるように写楽を時期ごとに区切って見せてくれるコーナーがあります。これを見ると一目瞭然。写楽はやはり最初の時期が一番写楽らしくて、躍動感溢れ、「こんな絵師が登場したら、他の絵師の作品なんて売れなくなるよな」という勢いがあります。それが第二期以降、あっという間に元気がなくなってしまうのは不思議です。「トンデモ説」かもしれませんが、写楽複数説というのも、こうやって作品を時系列に並べられると納得させられるものもあります。

あたしのような素人でも感じるのは、写楽って全身を描いたときにはほとんど面白くない、陳腐な、平凡な絵師という感じがすることです。役者の全身図なら豊国の方がはるかに巧いと感じます。

最後に、これまた面白いのは、やはり版画ですね。同じ絵を刷りの違うもので並べて見せるコーナーも面白かったです。たぶん同じ版木から刷ったと思われる絵なのに、保存状態や刷った回数など各種条件によって、ここまで違った絵になってしまうとは。

ところで、これは専門家が研究し尽くしていると思うのですが、写楽の署名、たいていは「東洲斎写楽画」とありますが、中には「写楽画」というものもあります。余白の広さから「東洲斎」が入らないのかと思いきや、二行に分けて書いているものもありますし、十分「東洲斎」の三文字を入れるだけの余白のあるものもあります。東洲斎写楽と写楽で何か使い分けはあるのでしょうか? 作品を見ながらちょっと気になりました。

もっと気になったと言えば、役者絵の毛です。ヤクザものとか荒くれ者の絵で、腕や足(脛)、あるいは胸にもっと毛が描かれていてもよさそうなもの、ざっと見た限り役者絵ではありませんが、「曾我の五郎と御所五郎丸」以外にはすね毛の描かれているものがありませんでした。役者の場合、手甲脚絆をつけていたりするからなのか、でも絵を見る限り、そういうものをつけていなさそうなものも多かったですが・・・・・・。とにかく、見ていて何か違和感を感じ、途中で「すね毛だ!」と気づいたのですが、これはすね毛や腕毛、胸毛を描かないのが当時の流行だったのでしょうか? それとも当時の役者はそういったむだ毛を剃っていたのでしょうか?

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