2011年5月 1日

この現実を前にして

今朝も早くから起きて、というか目が覚めて(←年寄りか?)、何気なくつけていたフジテレビ系のボクらの時代に人気作家の三人、湊かなえ、有川浩、万城目学の面々が出演され、トークを繰り広げていました。

湊さんは昨年の「告白」、有川さんは現在の「阪急電車」、万城目さんは近々の「プリンセス・トヨトミ」と、皆さん映画づいている感がありますが、自分の作品の映像化のこととか、作品を作る楽しさと苦しさなど、30分番組ではもったいないくらい、もっといろいろ聞きたい、話してもらいたい話題ばかりでした。



番組ラスト近くで、今回の震災について語っていましたが、いみじくも三人は学生時代に阪神大震災を体験しているわけで、被災者の立場も理解できるところがあるようでした。湊さんはこんな圧倒的な自然の力の前で作家に何ができるのかと自問したようです。万城目さんもそれは当然のことではないかと返していましたが、確か昨日の「よんとも」でも小池さん、豊﨑さんがやはり震災の話題に触れていましたね。

アメリカで9・11以後という言い方がされ、文学作品にもその影響が表われていると言われますが、日本の文壇にも「3・11以後」というカテゴリーができるのかも知れません。

ただ、あたしが思うに、この震災を体験するなり、映像を見るなりして、そこから何かインスピレーションを感じて作品を紡ぐことはできるかも知れないし、それをするのが作家の仕事なのだとも思いますが、そうではなくて、この現実をそのまま言葉に置き換えることが果たしてできるものなのだろうか、という気がします。もちろん、それをそのまま言葉にするのは報道の役割であって、文学の役割ではないかも知れませんが、「言葉にならない」「言葉にできない」という体感は、言葉を生業にしている人にとって、ものすごくショッキングな体験なのではないでしょうか?

番組の中で、最初に必要とされているのはレスキューとか、消防とか、お医者さんだろうけど、もう少したてば自分たちが必要とされるようになる、と話していた湊さんの言葉が印象的でした。

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