懐かしくて
四谷にあるポートレートギャラリーで、昨年亡くなった小松茂美先生の写真展が始まりました。小松先生の写真展という言い方は正しくないのでしょうか? 柚木裕司写真展と言うべきなのかも知れません。展覧会のタイトルは
「千年の古筆」学究の人、小松茂美 柚木裕司写真展
と言いまして、21日から始まっていて、27日までです。最晩年3年くらいの小松先生の姿が見られます。で、今日の昼下がり、ちょこっと見に行ってきました。
晩年の小松先生。あたしはその頃は、あまり小松先生のところへお邪魔する機会が少なくなっていたので、とにかく懐かしく感じられました。やはり病気のせいか、あたしが知っている先生よりもちょっと痩せているかな、という気がします。でも、今にも語りかけてきそうな、そんないつもの小松先生の様子、勢いは伝わってきます。
先生の書庫での写真、ご自宅での写真などなど。「ああ、ちょっと模様替えしたんだなあ」と思いつつ、しばし一昔前にタイムスリップした気分です。
ちらっと写っている徳利とグイ飲み。「毎週のように、あの徳利にお酒をついで、あの酒杯で先生とお酒を飲んだなあ」といったことがしみじみと思い出されます。
それにしても、あたしは小松先生から何を学んだのでしょう? 初めて小松先生にお逢いした頃、それはちょうど『古筆学大成』の最後の巻が出る頃で、あたしが大学院に入った直後でした。
あたしのような門外漢には、先生がされているお仕事には、何のお手伝いも出来るわけもなく、あたしはただただ、この写真展でも写っている先生のお宅の書庫の本の整理をしていたのです。書庫にある蔵書を片っ端からカード化する作業です。あとは、時々出てくる漢文の訓読の確認や出典調べでささやかなお手伝いをさせていただいた程度でした。
むしろ、それまで中国学畑だったあたしは、日本史、日本古典に関する知識はごくごく普通の受験生程度のものしかなく、蔵書の整理の中でさまざまな書籍の名前を覚え、どんな書籍なのかをわからないながらも調べたりして、かなりの知識を吸収させてもらいました。たぶん、日本古典や仏典など、そこらの専門課程の大学生よりもあたしの方が遙かに多く触れる機会に恵まれたのではないでしょうか?(←あくまで、ふつーに入学してきてふつーに卒業していく学生と比べて、です)
小松先生は常にいくつかの仕事を平行してこなされていましたが、『古筆学大成』が終わっても、次の著作に取りかかり、更には『小松茂美著作集』の編集作業が始まりました。『著作集』はこれまでの先生の著作を網羅したもので、改めて弟子総出で出典の再確認を行ないったわけですが、あたしもほんのちょっとではありますが、出典調べなどのお手伝いをさせていただきました。
自分で言うのもなんですが、この頃は日本の古典にもずいぶんとなれてきていましたし、蔵書整理をしていたので、どの本が書庫のどの棚に置いてあったか、かなり頭の中に入っていました。また出典調べというのは中国学でも基本中の基本の作業なので、これについては楽しくやらせていただいたいう思い出があります。
それに、なんといっても、著作集の編集作業ですから、全体の数百分の一くらいとはいえ、これまで小松先生が積み上げてこられた業績の一端に触れるという、またとない経験をさせていただきました。あたしは遅れてきた者ですから、これまでの先生の業績についても後から知ったわけです。書庫にはもちろん先生のこれまでの著作が置いてあり、しばしば開くことはありましたが、この作業のお陰で初めて中味をじっくり読む機会を持たせていただいたのです。
いま振り返ってみて、先生から吸収できたことは数百分の一、否、数万分の一もないかも知れません。学問・研究以外のことも数限りなく教わりました。晩年、年に何回が、ふと電話をいただくことがありました、こちらからかけることもありましたが、毎回決まって、「いい人は見つかったか。それだけが心配なんだ」と言われました。このことだけは、結局先生によい報告をできなかったのが心残りです。情けないことに、いまだ墓前・霊前に報告することすらできません。
ただ、なによりも、学問って厳しいけれど楽しいということは学びましたし、それが思い出としてしっかりと残っています。
「千年の古筆」学究の人、小松茂美 柚木裕司写真展
と言いまして、21日から始まっていて、27日までです。最晩年3年くらいの小松先生の姿が見られます。で、今日の昼下がり、ちょこっと見に行ってきました。
晩年の小松先生。あたしはその頃は、あまり小松先生のところへお邪魔する機会が少なくなっていたので、とにかく懐かしく感じられました。やはり病気のせいか、あたしが知っている先生よりもちょっと痩せているかな、という気がします。でも、今にも語りかけてきそうな、そんないつもの小松先生の様子、勢いは伝わってきます。
先生の書庫での写真、ご自宅での写真などなど。「ああ、ちょっと模様替えしたんだなあ」と思いつつ、しばし一昔前にタイムスリップした気分です。
ちらっと写っている徳利とグイ飲み。「毎週のように、あの徳利にお酒をついで、あの酒杯で先生とお酒を飲んだなあ」といったことがしみじみと思い出されます。
それにしても、あたしは小松先生から何を学んだのでしょう? 初めて小松先生にお逢いした頃、それはちょうど『古筆学大成』の最後の巻が出る頃で、あたしが大学院に入った直後でした。
あたしのような門外漢には、先生がされているお仕事には、何のお手伝いも出来るわけもなく、あたしはただただ、この写真展でも写っている先生のお宅の書庫の本の整理をしていたのです。書庫にある蔵書を片っ端からカード化する作業です。あとは、時々出てくる漢文の訓読の確認や出典調べでささやかなお手伝いをさせていただいた程度でした。
むしろ、それまで中国学畑だったあたしは、日本史、日本古典に関する知識はごくごく普通の受験生程度のものしかなく、蔵書の整理の中でさまざまな書籍の名前を覚え、どんな書籍なのかをわからないながらも調べたりして、かなりの知識を吸収させてもらいました。たぶん、日本古典や仏典など、そこらの専門課程の大学生よりもあたしの方が遙かに多く触れる機会に恵まれたのではないでしょうか?(←あくまで、ふつーに入学してきてふつーに卒業していく学生と比べて、です)
小松先生は常にいくつかの仕事を平行してこなされていましたが、『古筆学大成』が終わっても、次の著作に取りかかり、更には『小松茂美著作集』の編集作業が始まりました。『著作集』はこれまでの先生の著作を網羅したもので、改めて弟子総出で出典の再確認を行ないったわけですが、あたしもほんのちょっとではありますが、出典調べなどのお手伝いをさせていただきました。
自分で言うのもなんですが、この頃は日本の古典にもずいぶんとなれてきていましたし、蔵書整理をしていたので、どの本が書庫のどの棚に置いてあったか、かなり頭の中に入っていました。また出典調べというのは中国学でも基本中の基本の作業なので、これについては楽しくやらせていただいたいう思い出があります。
それに、なんといっても、著作集の編集作業ですから、全体の数百分の一くらいとはいえ、これまで小松先生が積み上げてこられた業績の一端に触れるという、またとない経験をさせていただきました。あたしは遅れてきた者ですから、これまでの先生の業績についても後から知ったわけです。書庫にはもちろん先生のこれまでの著作が置いてあり、しばしば開くことはありましたが、この作業のお陰で初めて中味をじっくり読む機会を持たせていただいたのです。
いま振り返ってみて、先生から吸収できたことは数百分の一、否、数万分の一もないかも知れません。学問・研究以外のことも数限りなく教わりました。晩年、年に何回が、ふと電話をいただくことがありました、こちらからかけることもありましたが、毎回決まって、「いい人は見つかったか。それだけが心配なんだ」と言われました。このことだけは、結局先生によい報告をできなかったのが心残りです。情けないことに、いまだ墓前・霊前に報告することすらできません。
ただ、なによりも、学問って厳しいけれど楽しいということは学びましたし、それが思い出としてしっかりと残っています。
読んだ感想を書く