2011年4月12日

本震のような余震

震災からちょうど一月がたって、昨晩は、東京に関しては小さな揺れが十分、二十分おきに起きるという、油断できない夜でした。布団に入ってからも、「これは地震酔い?」と思われるくらいに、寝床がかすかに震えている感じがしました。

地震酔いなのか、それとも本当に揺れているのか、そのうちわけがわからなくなるような、そんな晩でした。東京では、錯覚のような揺れ方でしたけど、東北地方では場所によってはかなり大きな揺れ、それこそ「余震」という言葉に偽りあり、というくらい大きな揺れだったみたいですね。

今朝のテレビでは早速、専門家に分析だの今後の見通しだのを語らせていましたが、それって何の意味があるのでしょう?

確かに、避難所生活を送る人をはじめとした被災者の方々は、「いつになったら日常を取り戻せるんだ」という思いで、専門家の高説を聞いているのでしょうが、地球規模の自然現象、地学的な運動って、人間の尺度で測っても意味がないって、誰だってわかっていますよね。テレビって、なんであんなに性急に結論を求めたがるのでしょう?

今後一ヶ月から半年という人もいれば、数年は続くという人もいます。

でも、地球の歴史を一年に譬えると、という有名な話があるじゃないですか? その一年の、12月31日がもう終わろうという、そんな頃になってやっと人類が誕生するっていう、あの話です。

地学ってそんなスパンで考えないといけないことばかりでしょう。それから見たら、江戸時代の浅間山の噴火とか、平安時代の津波だとかって、みんなつい昨日のこと、さっき起こったことでしょう。

あたしはそんな風に思うので、テレビに出てくる専門家はともかく、とかく結論だけを引き出そうと話を誘導するアナウンサーやキャスターは、どう信用ならない気がします。もちろん一日も早く、被災者に日常が戻ってくることを願ってはいますが。

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