2011年3月30日

こんな時だから

いきなり見ず知らずの人からのメールが入ってきました。たぶんスパムでしょう。あるいは宛先を間違えたのかもしれません。ちょっとした1文字か2文字違うだけで同じメアドの人がいるのでしょうか? いずれにせよ、知らない人からのメールは無視です。「地震、大丈夫でしたか?」なんて書いてありましたから、まるっきりのスパムとも思えませんが・・・・・・

ところで、あっちこっち自粛ムードが広がっていて、ここまで自粛する必要があるのか、という声も一部には聞こえます。もちろん、自粛せざるを得ないほど個人的にショックを受けている人もいるのでしょうけど、あたしみたいに無頓着な人間も世間には大勢いるわけだし、こんな時だから明るくしたい、普段どおりに振る舞いたいと思っている人もいるのでしょう。

書店を回っていても、いつもどおりの笑顔で迎えてくれる人もいれば、元気のない人もいます。こういう言い方をしては失礼ですが、普段の態度や様子を見る限り、「この人が今回の震災でこんなにもショックを受けているとは・・・・・・」と驚かされることもあります。もしかしたら、東北出身なのかもしれませんね。家族や親戚が被災していれば、やはり冷静ではいられないでしょう。

そうではなくとも、思いのほか感受性の豊かな人、他人の痛みがわかる人、つまりは人の心に寄り添える人なのかもしれません。どうであれ、あたしには理解できない部分です。なので、もしかすると、あたしは知らないうちに、そういう人の心を傷つけてしまっているのかもしれないです。(誰に向けてだかわかりませんが、この場を借りて、お詫び致します。)

で、話は戻って自粛の話。

こういうときに、どこまでが不謹慎で、どこからが勇気とか希望に繋がるものなのか、線引きが難しいです。あたしは、正月だって普段どおりにすごそうとするくらい、「unusual」「irregular」が嫌いなので、今回だって出来るだけ普通に過ごしたいと思っています。

もちろん計画停電という、どうあがいても普段どおりに過ごせない外的状況がありますが、それを除けば、いやそういうときにこそ、出来るだけ普通でいたいと思っています。たとえ家族が死んでも、あたしはできるだけ普段どおりでいたいと思いますし、たぶん、そうやって過ごすでしょう。少なくとも10年前に父が死んだときはそうでした。

不祝儀とは真逆の結婚式。これも延期や中止が増えているみたいですね。ニュースでやっていました。招待客が来られるか心配という理由、これは理解できます。こんな時に晴れがましいことをするのはどうかと思う、これは別に気にしなくてもいいのでは。むしろ元気を与えられるのではないかと思います。

でも中には、被災で相手が亡くなってしまったという人もいるようですね。それはもうご愁傷様としか言いようがありません。早く立ち直って、いい人をまた見つけて欲しいものです。(←あたしみたいに、震災に関係なく、相手が見つからない人間もいますけど!)

自粛ムードとともに最近いやなのが、募金ファシズム。募金しないとまともな人間じゃないかのような世間の雰囲気が、どうしても好きになれません。もっと「自分のやれること」をやればよいのに、イベントなどで入り口で募金箱を持って待ち構えているのは、ちょっとやりすぎではないか、と思うのです。

やはり、あたしって冷たい人間なんだなあ、と思います。そういう自覚は、一応あるんですよ。

読んだ感想を書く