2011年3月28日

寄り添えない

今さら気づいたわけではないのですが、この数日、改めて自分の心の冷たさに気づかされました。

テレビでは、これでもか、これでもかと震災への救援、支援がアピールされています。そんな訴えかけを見るたびに、いやーな気分を覚えます。

「人は一人じゃない」と言われても、これまでずっと誰かがそばにいたような実感を覚えずに生きてきてしまった身としては、むしろそんなセリフが胡散臭く聞こえます。もちろん、自分が誰かに寄り添っているような自覚も感覚もありません。

「きっと乗り越えられる]と言われても、既に乗り越えられずに亡くなっている人だっているじゃないか、というひねくれた感情を抱いてしまいますし、これからだって誰もが乗り越えられるわけではないだろう、と思ってしまいます。

もちろん、被災した人たちの様子を見れば、かわいそうだなあとは思いますし、何の罪もない人がこんなめに遭うなんて不条理だなあとは思います。でも、だからといって自分に何かできるだろうか、と考えたりするわけではありません。

特に、これみよがしな芸能人のコメントを聞いていると、偽善的な感じがして素直に耳を傾けることができません。先日の甲子園、選抜高校野球の選手宣誓など偽善の最たるものではないか、という感じがして、聞く気も起きません(スポーツニュースでちょっと見ただけです)。それに対するアナウンサーやキャスターたちのコメントも白々しい感じがして、どうも好きになれないのです。

これほどまで、自分が他人の気持ちに寄り添えない人間だったとは、ある意味、驚きです。こんなあたしは、きっと地獄に堕ちるのだろうな、そんな風に思っています。



あたしの勤務先は、高木仁三郎さんの本も出しているのに、あたしのような考えをしている者がいるなんて恥ずかしい限りでしょうか? そう言えば、このところ福島の原発の問題で改めて高木先生の本が注目を集めているようですね。

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