2011年3月26日

ようやく......

わが家はかつて東京の杉並区に住んでおりました。あたしの成長に引きつけて言うならば、小学校の入学時から大学卒業時までです。大学4年の秋に、現住所の地へ引っ越してきたわけです。

その杉並時代、わが家は団地に住んでいました。その部屋が父の勤めていた会社の社宅になっていたのです。大きな企業ではありませんから、団地まるごと一棟が社宅、なんてことはなく、あくまであたしたちの住んでいた部屋のみが社宅でした。

当時、あたしたちはその団地の4階に住んでいたのですが、同じ階段を使っているご近所さんが日常的なつきあいのある間柄で、その当時3階に住んでいた一家が、途中で仙台に引っ越していきました。もともと仙台出身の方だったので、地元へ戻ったというわけですが、その後も家族ぐるみのつきあいは続いておりました。

で、今回の震災です。

その方々の安否が杳としてわかりませんでした。便りがないのはよい知らせ、と言い聞かせ、きっと避難所にいて無事だろう、まだ自宅には戻れないのだろうと思っていました。その気持ちが通じたのか、昨晩、電話がありました。一昨日から電気が復旧し、ようやく連絡が取れるようになったとのことです。

コンビナート火災が起きた多賀城市に住んでいたその方は、やはり津波で命からがら非難したそうです。庭先に駐めておいた車も流され、飼っていた犬も溺死してしまったそうですが、家族の命に別状はなく、とりあえず全員無事だとのことです。

でも、とても言葉では表現できないような悲惨な光景を見てしまったようです。それに、自宅の一階は使い物にならない状態で、とりあえず2階で生活しているとの話です。家が壊れていないので、住むぶんには問題ないらしいのですが、津波でやられた一階を見ると気持ちが萎えてしまうそうです。

幸い、いろいろな救援物資が送られてきているので、それほどものの不自由はないようですが、それでも公的な支援ですと細かなところまで行き届かないでしょうから、何か必要なものがあれば送るからと伝え、停電が時にはあるけれど骨休めに東京へ数日来てくださいと話しました。

まだまだ余震も続くし、被災して苦しんでいる人もいるし、風評被害で更に追い打ちをかけられている人もいるのに不謹慎かも知れませんが、わが家としては今回の震災に一段落ついた心地がします。母の古い友人が盛岡にいますが、その人とは早々に連絡が取れて無事を確認していますので、ひとまずわが係累に生命上の被害はなかったという確認が取れたわけです。

そういうタイミングで、東京電力から停電のグループ分けの詳細が発表されました。より細かな区分にして、きめ細やかな停電(?)を実施するのには反対しませんが、もうそろそろ23区も停電の地域に加えるべきではないでしょうか?

このまま4月いっぱいくらいの、当座の停電はこのグループでいくとしても、夏に再び予想される停電で、同じように東京23区だけは例外扱い(←でも停電している地域もちょこっとありますね)していたら、そうとうな不公平感がたまると思うのですが。

少なくとも、23区は停電地域の例外にするのであれば、停電が行なわれる地域の電気料金の倍額くらいにすべきではないでしょうか? そうでないともう何度も停電を実施されている地域の人が怒り出すのではないかと思います。

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