2011年3月23日

私物の処分

被災地のニュースで、瓦礫の山の撤去のことが報じられていました。

途方もない瓦礫の山。それを片付けるだけでも、どのくらいの時間と労力がかかるのか・・・・・・

もちろん、重機を使って一気にザーッと片付けてしまった場合の話です。

ニュースによれば、そうはいかないようです。

瓦礫の山は、第三者から見ればゴミです。まさしくゴミの山、ゴミの荒野です。でも、そこに暮らしていた人たちにとっては、宝の山と言えば言い過ぎかもしれませんが、想い出の品々、自分たちが生きて暮らしていたことの証となる品の数々なのでしょう。

法律では、やはり所有者から勝手に処分しないでくれと言われたら処分できないそうです。もちろん非常時立法で強引に、強制的に処理してしまうことはできるでしょう。でも、やはりいくら行政とはいえ、この非常時とはいえ、そこまではできないのが人情というものです。

むしろ、こんな非常時だから、何もかもなくしてしまったからこそ、せめて手元に残しておけるものはどんなにささやかなものでも残しておきたいと考えるのが人の常ではないでしょうか。

一刻も早く瓦礫の山を撤去しないと何事も始まらないという意見もわかりますし、そこにあるのは瓦礫でもゴミでもなく、自分たちにとってはかけがえのない宝物だという地域の人の声もわかります。難しい問題です。おそらくはある時点で非情な決断を行政の側が下さざるを得ないのだとは思いますが・・・・・・

自分だったらどうでしょう?

もちろん、被災者の人たちの気持ちは、こうして東京でぬくぬくと暮らしているあたしには本当のところは理解できないのですが、想像してみます。

わが家の場合、かなり内陸ですので津波ですべてが飲み込まれるということはないと思います。わが家の当たりが津波にのみ込まれるような自体になったら、東京は完全に沈没、壊滅、消滅でしょう。でも、大地震で家が倒壊する可能性は十分にあります。

倒壊の程度にもよりますが、倒壊しただけなら、少しは瓦礫の山から拾い出せるかもしれませんね。自宅の本は諦めます。パソコンもぶっ壊れているでしょう。よくアルバムと言う人もいますが、あたしはそれほどの執着を持っていません。失っても構わないとまでは言いませんが、これも諦めがつきます。

やはり失って申し訳ないと思うのは仏壇にある位牌でしょうか。通帳、実印などは非常時でも持っていると役に立つのでしょうか? 第三者に拾われるくらいなら、完全になくなってしまう方がマシです。

うーん、やはり、そんな事態になったら虚脱感に襲われて、ものへの執着がなくなりそうです。中途半端に壊れたときの方が却って執着心が残っていて悪あがきをしそうな気がします。

読んだ感想を書く