2011年3月20日

それはアリか?

連日続く震災のニュース。どこのテレビ局だったか忘れましたが、ある被災者に救援物資を届けているのを見ました。それはそれで助け合いの精神なのかも知れませんが、ちょっと気になりました。

最初から説明しますと、このテレビ局に限らず、このところ各地の避難場所を回って、被災者がテレビカメラに向かって自分は無事だとか、家族を探しているといったメッセージを訴える内容のものが増えています。この番組でもそういった被災者の声を収録して放送していたようです。

で、たまたま、その放送を見ていた被災者の兄弟、その人は東京で暮らしているようですが、その人がテレビ局に、あれは自分の兄弟だと連絡をしてきたそうです。ここまでなら美しい物語だと思います。安否不明の兄弟の連絡が通じた、という美談です。でも、あたしが解せないのはここからです。

テレビ局のスタッフは、こんどは東京のその兄弟の元を訪れ取材しました。ここまでなら、あたしもまだ許容範囲です。でも気になるのはここからです。

そのご兄弟の方、荷物を作ってスタッフを待っていたのです。そして、この荷物を被災地にいる兄弟に届けて欲しいというのです。あらかじめそのつもりでテレビ局に連絡をしたのか、それともテレビ局側が救援物資などを届けましょうかと言い出したのか、そこのところはわかりません。でも、とにかくスタッフはその荷物を預かって数日後に被災地の避難場所で暮らす兄弟にその頼まれた荷物を届けたのです。

兄弟からの荷物を受け取った被災者はもちろん涙を流して喜び、テレビ局のスタッフに感謝しています。さらには東京の兄弟からのビデオメッセージをスタッフ持参のポータブルプレーヤーで見て、更に涙です。

うーん、なんかできすぎている、とまでは言いませんが、大勢いる被災者の中でテレビ局が特定の個人にだけ肩入れしてよいものでしょうか? その避難場所には他にも大勢の被災者がいます。家族の行方のわからない人、既に死亡がわかって絶望している人、たくさんいるでしょう。

もちろん、そういう中でもこういった明るい話題は周囲の人を励ますことになるかも知れませんが、今回の件はやり過ぎなのではないかという気がします。たとえば、この後、この避難所に何か公的な支援物資が届いたとします。当然、被災者みんなで仲良く分け合うのでしょうけど、中には「あの人にはテレビ局が付いていて、東京からいろいろ届けてくれるから、分けてあげる必要なんてないわよ」と思ったり、言い出したりしたらどうなるのでしょうか? その可能性、あたしは十分にあると思います。

安否情報をマスコミが伝送するのはいいとして、こういう個人的な荷物を預かって運ぶことまでマスコミがやってよいのだろうか、そんな気がしました。

それとも、そんな風に考えてしまうあたしの心が狭量なのでしょうか? 幸いにもあたしの家族や大切な人が被災していないから、他人事のように思って冷たく考えてしまうあたしの方が間違っているのでしょうか?

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