2011年3月20日

加油はNG?

いつのころからか、今回のような災害の被災者とか障害のある方へ「がんばれ」という言葉はふさわしくない、という空気になっています。曰く、本人は既に十分頑張っているのに、更にもっと頑張らないといけないのか、と。

確かに言われてみればその通りでなんすが、言っている方だってそんな悪気があるわけではないし、そこまで目くじら立てる必要があるのかな、という気もします。たぶん、自分が言われる方の立場になったことがないからかもしれませんが。

だからでしょうか、今回の震災では「励ます」とか「寄り添う」といった言葉が目立つような気がします。海外からのメッセージでは確かに「ガンバレ、日本」というものが多い気もしますが、「Pray for Japan」といった表現も散見されます。なんだかんだ言いながらも、いろいろと気を遣う世の中になったものだと思います。

たまたまではなく、コンサートのため来日中の歌手、シンディ・ローパーが歌で少しでも人々を勇気づけたいとコンサートを予定どおり開いたわけですが、少し前には南米の空港でイライラする人たちを即興のパフォーマンスで和ませたというニュースが流れてましたね。確かこの曲を歌ったはずです。

シンディ・ローパー、懐かしいです。あたしが中学から高校の頃、洋楽がブームでマイケル・ジャクソンやプリンス、バンドではデュラン・デュラン、カジャグーグー、カルチャークラブ、女性歌手ではマドンナに、このシンディ・ローパーといった具合に綺羅星の如くでした。マドンナとシンディ・ローパーではどっちが好き、というのもよくクラスの中で交わされた言葉です。

セールス的に、あるいはマスコミの話題的にはマドンナに軍配が上がったのかも知れませんが、あたしは断然シンディ派でした。なってったってマドンナと比べたら歌が断然巧かったです。「Time after Time」「True Colors」なんて名曲中の名曲でしょう。あと、これはシングルカッとされたのか知りませんが、アルバムで知った「Sally's Pigeons」も心にしみる佳曲です。(ちなみに、マドンナならこれですね。)

話がずれました。

頑張ってはいけない、否、頑張らなくてもよい、という話でした。

あたしはどちらかというと、そもそもが頑張るということのない人間なので、「もう少しがんばれよ」とか、「たまには本気出せ」と言われることが多いです(汗)。自分なりには精一杯の本気を出しているつもりなのですが、どうも相手には伝わっていないようです。

確かに、自分なりに精一杯といっても、「血の汗にじむような」とか、「ふらふらになって倒れるまで」とか、「決して後悔しないくらい」といった、スポ根もののような努力ってしたことないので、周囲から見れば「あいつはテキトーにやってる」と思われているのかも知れません。もちろん、努力というのもあまり好きではありません。

だから、もし今回のような震災に自分が遭遇したら、それでもあたしは適当にやっているのだろうか、必死にならないのだろうか、と考えてしまいます。必死になっている自分、って全く想像できないもので。

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