せめて赤羽
いいやー、すごい揺れだった、とまでは、あたしは感じませんでしたが、皆さん、ご無事ですか?
揺れている時間は長かったですけど、極端に大きな地震という感じは受けなかった、というのが正直な感想です。
どこにいたかと言いますと、仕事で桶川です。某取次会社の倉庫へ来ておりました。初めはそばの道を大型トラックが通ったのかと思いました。でもそれにしては揺れが長すぎる、周りで働いている人たちも「地震だ」と騒ぎだし、「ああ、地震なのか。最近多いなあ」と思ったくらいです。
で、倉庫の方とパソコンの前で一緒に作業をしていたのですが、「とりあえず、ここまでのところを保存しておいた方がいいですよ」と言った数分後に停電しました。データが飛んでしまう悔しさは何度も味わっているので、地震などの時は勤務先でも自宅でもまずはデータ保存という習慣が身についているからなのですが、なんともワーカーホリック的な行動です。
さて、その倉庫も停電はするわ、棚から本が崩れ落ちるわで、ひとまず全従業員外へ避難となりました。働いている方は近隣の方がパート・アルバイトで来ていることが多いらしく、帰宅するなら上司に一言断わってからというアナウンスが流れていました。
そうだよね、近所だから自動車で来ている人も多いみたいだし、道は大丈夫そうなので、まずは自宅が心配なのは十分理解できます。
で、あたしはどうしましょう?
とりあえず、タクシーが通ったので桶川駅まで出ました。その時点での状況認識は、結構大きな地震だったけど、一時間か二時間も待てばJRは動き出すだろうという楽観的なものでした。そこで、駅前の「庄や」でしばし休息です。ちなみに、あたしは普段からケータイを使わないので、こういうときも周囲の人たちがケータイで盛んに連絡を取り合っている(←繋がっているのか?)のを尻目に、特に何かをするでもなく、のほほんと過ごしていました。
JRは、どうやら完全に動かないようです。桶川駅もシャッターを半分下ろしてしまいました。残る交通手段はタクシーかバスです。とりあえず大宮あたりまで出ればバスがあるかと考えタクシー乗り場に並んでいたのですが、川越行きのバスがあったので、急遽そちらに切り換えました。川越ならJR意外のも東武線、西武線があり、着く頃には動き出しているかも知れないという期待がありました。動いていなくても、川越から所沢方面、さらに西武線の方へバス便があれば、なんとか家に着けるだろうとの予想です。
で、バスですが、途中の渋滞もあり、川越まで約2時間かかりました。本川越で西武新宿線に乗ろうと思うものの全く復旧のめどは立っていないというアナウンスです。バスも南へ向かう路線がありません。ホテルに泊まるか、歩いて帰るかの二者択一で、とにかくあたしは所沢まで歩くことに決めました。そして歩き始めて1時間ほど、川越と新所沢(←西武線の駅)を結ぶバス通りをずっと歩いていたのですが、なんとそのバスがが通ったのです。新所沢は所沢の手前ですが、まあいいや、もう寒い夜道を歩くのはツライと思っていた矢先なのでバスに飛び乗りました。
もうじき新所沢というところで、西武線が動いているのが見えました。「ラッキー」と思い、改札へ向かいました。西武線は、ノロノロ運転ですが、なんとか動き出したようです。しばらく待つと新宿行きの急行が到着し、小平に向かったのです。電車だと駅の数は数個なのに距離は遠いですね。ノロノロ運転ではありますが、途中で止まってしまうこともなく、ほどなく小平到着。バスはもう無いのでタクシーを待ち無事帰宅したのが、つい先ほど11時過ぎでした。
より大きな地図で 帰宅難民一歩手前 を表示
意外と早く帰れたのか、それほどの拾うもなく、ただただ、寒かったというだけです。地図で見ると桶川から、かなり直線的に帰ってきたようです。今回洗濯したルートが正解だったのか否か、それはわかりません。大宮とか浦和の方へ向かっていたらどうなっていたのでしょうか? あやうく帰宅難民でしたね。
寒風吹きすさぶ桶川でタクシーを待っているとき、「これが桶川ではなく、せめて赤羽なら、会社にも行きやすいしバス便もいろいろあるだろうに」と思いましたが・・・・・・
揺れている時間は長かったですけど、極端に大きな地震という感じは受けなかった、というのが正直な感想です。
どこにいたかと言いますと、仕事で桶川です。某取次会社の倉庫へ来ておりました。初めはそばの道を大型トラックが通ったのかと思いました。でもそれにしては揺れが長すぎる、周りで働いている人たちも「地震だ」と騒ぎだし、「ああ、地震なのか。最近多いなあ」と思ったくらいです。
で、倉庫の方とパソコンの前で一緒に作業をしていたのですが、「とりあえず、ここまでのところを保存しておいた方がいいですよ」と言った数分後に停電しました。データが飛んでしまう悔しさは何度も味わっているので、地震などの時は勤務先でも自宅でもまずはデータ保存という習慣が身についているからなのですが、なんともワーカーホリック的な行動です。
さて、その倉庫も停電はするわ、棚から本が崩れ落ちるわで、ひとまず全従業員外へ避難となりました。働いている方は近隣の方がパート・アルバイトで来ていることが多いらしく、帰宅するなら上司に一言断わってからというアナウンスが流れていました。
そうだよね、近所だから自動車で来ている人も多いみたいだし、道は大丈夫そうなので、まずは自宅が心配なのは十分理解できます。
で、あたしはどうしましょう?
とりあえず、タクシーが通ったので桶川駅まで出ました。その時点での状況認識は、結構大きな地震だったけど、一時間か二時間も待てばJRは動き出すだろうという楽観的なものでした。そこで、駅前の「庄や」でしばし休息です。ちなみに、あたしは普段からケータイを使わないので、こういうときも周囲の人たちがケータイで盛んに連絡を取り合っている(←繋がっているのか?)のを尻目に、特に何かをするでもなく、のほほんと過ごしていました。
JRは、どうやら完全に動かないようです。桶川駅もシャッターを半分下ろしてしまいました。残る交通手段はタクシーかバスです。とりあえず大宮あたりまで出ればバスがあるかと考えタクシー乗り場に並んでいたのですが、川越行きのバスがあったので、急遽そちらに切り換えました。川越ならJR意外のも東武線、西武線があり、着く頃には動き出しているかも知れないという期待がありました。動いていなくても、川越から所沢方面、さらに西武線の方へバス便があれば、なんとか家に着けるだろうとの予想です。
で、バスですが、途中の渋滞もあり、川越まで約2時間かかりました。本川越で西武新宿線に乗ろうと思うものの全く復旧のめどは立っていないというアナウンスです。バスも南へ向かう路線がありません。ホテルに泊まるか、歩いて帰るかの二者択一で、とにかくあたしは所沢まで歩くことに決めました。そして歩き始めて1時間ほど、川越と新所沢(←西武線の駅)を結ぶバス通りをずっと歩いていたのですが、なんとそのバスがが通ったのです。新所沢は所沢の手前ですが、まあいいや、もう寒い夜道を歩くのはツライと思っていた矢先なのでバスに飛び乗りました。
もうじき新所沢というところで、西武線が動いているのが見えました。「ラッキー」と思い、改札へ向かいました。西武線は、ノロノロ運転ですが、なんとか動き出したようです。しばらく待つと新宿行きの急行が到着し、小平に向かったのです。電車だと駅の数は数個なのに距離は遠いですね。ノロノロ運転ではありますが、途中で止まってしまうこともなく、ほどなく小平到着。バスはもう無いのでタクシーを待ち無事帰宅したのが、つい先ほど11時過ぎでした。
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意外と早く帰れたのか、それほどの拾うもなく、ただただ、寒かったというだけです。地図で見ると桶川から、かなり直線的に帰ってきたようです。今回洗濯したルートが正解だったのか否か、それはわかりません。大宮とか浦和の方へ向かっていたらどうなっていたのでしょうか? あやうく帰宅難民でしたね。
寒風吹きすさぶ桶川でタクシーを待っているとき、「これが桶川ではなく、せめて赤羽なら、会社にも行きやすいしバス便もいろいろあるだろうに」と思いましたが・・・・・・
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