2011年3月11日

実名報道

新聞で報道されていますが、死刑が確定した元少年3人の実名報道を巡って、マスコミが若干割れているようです。大多数は実名報道をしているようですが、数社が匿名のママだそうです。

テレビでやっていた街頭インタビューでも意見は分かれている感じです。反対の人は、更生の機会を奪うとか、家族など周囲の人に迷惑をかけるということが反対の理由のようです。

更生の機会を奪うというのが、もし出社後の社会の受け入れということであるのであれば、それは実名報道とは異なるレベルの話ではないかと思います。周囲への迷惑というのも抑止力として有効なのではないか、そう思います。

今回の事件の場合、被告たちは既に30歳代でしたよね。それに犯行時が18歳とか19歳といいますから、実名報道でも構わないと、あたしなどは考えてしまいます。

ただ、はっきり言ってしまえば、実名だろうが匿名だろうがどちらでも構わない、という気持ちもあります。だって、実名報道されても、知っている人でなければ氏名を知ることの意味があまり感じられませんし、自分の周囲の人間であれば、匿名でもわかってしまいますから。

あたしが高校2年の時、校内でちょっとした新聞沙汰の事件が起きました。朝から職員会議が続いて自習ばかりの一日でした。結経、ほどなくクラスメートの一人が何か事件を起こしたという噂が学校中を駆け巡りました。噂が流れたときには、既に「誰が?」という話ではなく、「●●が」と固有名詞が特定された状態で伝わってきました。

その日の夕刊は各紙、でかでかとこの事件が社会面のトップを飾っていましたが、もちろん匿名の報道です。「都立高校に通うA君」となっていました。そのように実際には匿名報道だったのですが、学校という一番の関係者や周囲の人間には誰のことかすぐにわかってしまうわけです。匿名報道の意味ってあるのでしょうか、という気がします。マスコミも「●●君って、ふだんどういう生徒でしたか?」と実名を挙げて、あたしたちにインタビュー取材をしてきましたから(爆)。

これが他の高校の生徒であれば、自分たちと同じ高校生が、くらいの感想は持ったとしても、別にだからどうのこうのといった感想は持ちませんし、その犯人が誰であろうとあまり気になりません。なので、あたしは匿名か実名かに実際にどれくらいの意味があるのか、よくわからないのです。

読んだ感想を書く