「ヘタレ」と言う前に
こんどは文庫化された『もしもし、運命の人ですか。』を読んでいます。穂村弘が続きます。いや、その間に能町みね子を挟んでいるから、厳密に言えば連続ではないですね(汗)。
で、本書も過去のガールフレンドのエピソードがかなりたくさん出てくるエッセイです(怒)。
多分に穂村さんはエッセイのための作り話も交えていると思います。けれど、これだけのストーリーを想像と聞きかじりと妄想だけで紡ぎ出すのは至難と思われますから、やはり多少の実体験がベースになっているのではないかな、と思われます。
となれば、いくらヘタレぶってみても、案外楽しくやってんじゃない、という嫉妬というか羨望というか、曰く言いがたいものが心の中にわだかまります。過去につきあった女の子だの、一緒に暮らしていたガール・フレンドだの、ヘタレぶってんじゃねえよ、と言いたいところです。
それでも穂村さんは基本はやはり人間が好きで、人間と真っ直ぐに向き合いたくて、たとえ裏切られても信じたい、そう考える人なのではないでしょうか? あたしはと言えば、やはり他人が嫌いで、自分のことはもっと嫌いで、裏切られるくらいなら初めから他人なんて信用しない方がよいと考えてしまう人間です。
ですから、あたしの人生は、ヘタレるほどの人付き合い(同性・異性を問わず)なんてしたこともなければ、人に話したりエッセイに書いたりできるような対人関係のエピソードなんていうものもありません。ヘタレているのではなく、ルサンチマンを抱え込んで、澱みきって沈んでいるのです。
同書の中で、「いい人」という言い方が褒め言葉ではないと書いていますが、せめて「いい人」くらいは言われてみたいと思います。いや、実際のところ、「いい人ですよね」と言われたことはありますが、そこには何の評価も含まれず、単なる社交辞令でもなく、機械の合成音が「I・I・HI・TO」という音声を発しただけのようなものを感じます。
マイナス評価でもいいから、もう少し感情の入った感想や意見が聞いてみたいものです。
でも、実のところ、そういった心と心のふれあい(と言うのは大袈裟ですが)的な交わりが怖くて、とても踏み込めない、踏み込みたくないと思っている自分がいるんですよね、心の真ん中に。
で、本書も過去のガールフレンドのエピソードがかなりたくさん出てくるエッセイです(怒)。
多分に穂村さんはエッセイのための作り話も交えていると思います。けれど、これだけのストーリーを想像と聞きかじりと妄想だけで紡ぎ出すのは至難と思われますから、やはり多少の実体験がベースになっているのではないかな、と思われます。
となれば、いくらヘタレぶってみても、案外楽しくやってんじゃない、という嫉妬というか羨望というか、曰く言いがたいものが心の中にわだかまります。過去につきあった女の子だの、一緒に暮らしていたガール・フレンドだの、ヘタレぶってんじゃねえよ、と言いたいところです。
それでも穂村さんは基本はやはり人間が好きで、人間と真っ直ぐに向き合いたくて、たとえ裏切られても信じたい、そう考える人なのではないでしょうか? あたしはと言えば、やはり他人が嫌いで、自分のことはもっと嫌いで、裏切られるくらいなら初めから他人なんて信用しない方がよいと考えてしまう人間です。
ですから、あたしの人生は、ヘタレるほどの人付き合い(同性・異性を問わず)なんてしたこともなければ、人に話したりエッセイに書いたりできるような対人関係のエピソードなんていうものもありません。ヘタレているのではなく、ルサンチマンを抱え込んで、澱みきって沈んでいるのです。
同書の中で、「いい人」という言い方が褒め言葉ではないと書いていますが、せめて「いい人」くらいは言われてみたいと思います。いや、実際のところ、「いい人ですよね」と言われたことはありますが、そこには何の評価も含まれず、単なる社交辞令でもなく、機械の合成音が「I・I・HI・TO」という音声を発しただけのようなものを感じます。
マイナス評価でもいいから、もう少し感情の入った感想や意見が聞いてみたいものです。
でも、実のところ、そういった心と心のふれあい(と言うのは大袈裟ですが)的な交わりが怖くて、とても踏み込めない、踏み込みたくないと思っている自分がいるんですよね、心の真ん中に。
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