2011年2月19日

女慣れと生まれ変わり願望

「女慣れ」って、言い方がちょっとどぎつい感じもしますし、かといって、「女の扱いがうまい」といえば、ジゴロかプレーボーイのようですし、難しいものです。

「女慣れしていないなぁー」と思われる不器用なスキンシップ9パターン

【1】女の子を呼ぶ際、指先でツンツンする
なんか、アラレちゃんがウンチを木の枝で突っついているところを思い出してしまいました(笑)。

【2】酔った勢いで触れてくる
女性と飲む機会がそもそもないですけど、そんなことはしませんよ。

【3】「手をつないでいい?」など、イチイチ聞いてくる
誰にそんなセリフを言うのでしょうか?

【4】女の子が話している途中など、変なタイミングで手を握ってくる
だから、誰に?

【5】ツッコミなどの加減が強すぎる
あたしは、あんまりツッコミタイプではないはずです。

【6】手が触れ合っているのに、手をつなぐのをためらい、モタモタする
こういうシチュエーションも経験ないです。

【7】ちょっと体が触れただけで、過剰な反応を示す
それはないですね。肩とか腕とか向こうから触られることだってありますから。

【8】手を背中に添えるだけなど、抱きしめ方がぎこちない
抱きしめるような相手はいません(涙)。

【9】ぎこちなく頭をなでる
これも、いったい誰の頭をなでろというのでしょうか?

どうもあたしの場合、「女慣れ」どころか、女性との接点がなさすぎる気がします(涙)。これはまずいのか? やはりまずいよね? と悶々と考えながら、小学館文庫の『もうおうちへかえりましょう』を読み始めました。はい、穂村弘です。



この中で穂村さんは小さいころから生まれ変わり願望があったと書いています。つまり、情けない自分、どうしようもない自分をリセットしたくて、なんとか生まれ変わりたいと思っていたそうです。

実際のところ、この本の中でも穂村さんはガールフレンドの話を散りばめていますし、友達の話もよく出てきますから、決して人付き合いが苦手には思えませんし、いっぱしの「青春」を謳歌していたとおぼしいのですが・・・・・・

生まれ変わり願望というものは、あたし自身にはありません。そりゃ、あたしだってこんな自分は大嫌いですから変わりたいとは思います。もうずいぶん前から自分のことが嫌いで嫌いでしょうがなく、心の底から別な人間になりたいと思っていました。

でも、これも案外早い段階からそう思うようになったのですが、「たぶん、生まれ変わっても、あたしは今のあたしと寸分違わぬ人間にしか生まれ変われないだろうなあ」という感覚があるのです。それで生まれ変わりと言えるのか、という根本的な問題はありますが(汗)、なんとなくずいぶんと昔からそんな漠然とした感覚を持っています。

運命を受け入れて、もう自分は変わりようがないんだと諦めている、というほどの気概でもありません。ただ単純に生まれ変わっても何も変わらないだろうという予感がするのです。(←あたしのネガティブな予感はものすごくよく当たります!) 誤解のないように言っておくと、決して「生まれ変わることができない」と思っているのではありません。生まれ変われると信じています。ただ、他の人はうまいこと理想の自分に生まれ変わっているのに、あたしだけは何回生まれ変わっても「元のまま」のような気がするのです。

最近では、「三つ子の魂百まで」と言いますから、百歳まで生きれば、そこでこれまでの自分をリセットできるのではないかという気がしています。はい、三つ子の魂が永遠に続くと考えるのではなく、百歳までしか継続しないと思っているのです。百歳になったら、幼いころからずーっと引きずってきたイヤな自分も終わりになって、「今まで百年、よくぞそんな性格で頑張って生きてきた。これからは、もうお前の好きなように生きていいんだよ」と神様が囁いてくれるのではないか、そしてあたしは百歳から生まれ変わった自分として新しい人生を生きられるのではないか、そんな風に感じているのです。

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