2011年1月26日

一瞬にして地獄

昨日書いた秋葉原無差別殺人事件のことの続きです。

今朝も、テレビのニュース番組、情報番組ではこの事件の求刑のことが話題になっていました。昨日は、「人間性のかけら」という言葉に、あたしが引っかかりを持った、違和感を感じたということを書いたのですが、今朝のニュースを聞いていて、またちょっと思うところがありました。

今回は「歩行者天国を一瞬のうちに地獄に変え」という一句です。

今回の事件の被告、想像してみるに、あたしと同じようにあまり対人関係をうまいこと築けないタイプだったと思います。そして、世間に対し、社会に対し、周囲に対し、日頃から不満を抱いていたものと思われます。

畜生、畜生、畜生、畜生......、といつも悶々と思っていたのではないでしょうか。でも、自分のちっぽけさというのもわかっていて、現状をどうすることもできない自分の不甲斐なさにイライラを募らせていたのではないかとも思います。

もちろん、その反対に「本当の自分はこんなんじゃない。もっとすごいことができるんだ。世間の奴らはわかってないだけだ」という自分勝手で理不尽な思い込みを持っていたとも想像できます。

そういう被告に対して、一瞬にしてその場を地獄に変えてしまった、なんて言うのは、避難しているのでも譴責しているのでもなく、むしろ褒めていることになるのではないでしょうか? だって、「お前はこんなにすごいことをやったんだ。お前のやったことで世間はこんなに影響を受けたんだ。お前はすごい力を持っていたんだ」と被告に言ってあげているようなものではないでしょうか? あたしには、そう感じられます。

「こんなちっぽけな自分」が、これだけ社会に影響を与えることができた、という言葉は被告にとって、否、もしあたしが被告であるなら、非常に褒められたと感じてしまいますが、それってあたしの感覚がおかしいのでしょうか?

読んだ感想を書く