2011年1月25日

人間性のかけら

秋葉原・無差別殺傷事件の加藤被告に求刑、だそうです。2008年6月の事件と言いますから、もう2年半もたつのですか。月日の流れるのは早いものです。

で、その求刑の内容ですけど、検察側は「我が国の犯罪史上、まれにみる悪質重大な事件で、人間性のかけらも感じることができない」と主張しているようです。テレビでそのように報道していました。

おや?

と、報道を耳にしたあたしは、ちょっと疑問に感じました。

この事件のこと、あたしは自分なりに詳しく調べたわけではありません。ニュースで聞きかじっているのと、最近の若者論などの本でこの事件に触れているのを読んだことがあるくらいです。

で、その乏しい知識で考えてみたときに、果たして加藤被告には「人間性のかけら」もないのだろうか、と思うのです。むしろ、今どきの若者の典型であり、凶行に及んだのは極端な例で許されることではないけれども、彼の心情とか、当時の閉塞感などは、むしろ極めて多くの若者に共通していたことで、たまたまああいう凶悪な事件を起こしたけれども、事件に至る経緯は非常にわかりやすいものではないだろうか、と思います。そういう意味では、むしろものすごく人間臭い出来事のような気がするのです。

「人間性のかけら」も感じないとは真逆なのではないか、あたしにはそう思えます。

またこの事件は、遺族や事件現場に居合わせた人の心に、未だに癒えない深い傷を残したということだそうです。

これも、当時の被告の社会に対する不満を考えた場合、未だにそのような心の傷を残し続けていることは、もって瞑すべし、心の中で快哉を叫ぶような慶事ではないでしょうか(不謹慎と言われるかも知れませんが......)。つまり、あれだけのことをして、結局人々の心に何の痕跡も残せないなんて、むしろその方がよっぽど惨めであり、無念なのではないか、と思えます。

彼のやったことは許されないことではありますが、一方で、今の世の中、ごくごく普通に起こりそうな事件ではないかとも思えるのです。特殊な事件というよりは、たまたま強行に至ったのは彼のケースだったけれど、起こりうべくして起こった事件という気もするのですが、そう感じるあたしの感覚お方がおかしいのでしょうか?

あたしって、やはり冷たい人間なのでしょうか?

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