2011年1月14日

人生の悲喜劇を体感

祝日の月曜日に、日帰り出張がありましたので、今日は代休を取りました。で、妹の長男(つまり、あたしの甥っ子)の通院に車を出してやったりしていました。

通院先は、空いていれば車で15分ほどで着いてしまう距離にある多摩総合医療センターです。ここは、これからの多摩地区の医療全般を担う中心施設になるようで、設備もすごいですし、きれいで広々としています。

実際に通っているのは併設されている、小児総合医療センターの方でして、多摩地区のいくつかの小児総合病院が統合されたようです。妹のところのように、比較的近くにこういう施設ができ、通いやすくなってラッキーという人もいれば、廃院になった今までのところの方が便利でよかったという人もいるかと思います。これは、どこかに施設を作れば、病院に限らず必ず起こる問題でしょう。

で、ここへ通うのにつきあってやるのも何度目かなのですが、行くたびに、いろいろな病気を患う子供を抱えた家族を見てしまいます。小児の病院ですから患者は当然子供で、付き添っている親も若い人ばかりです。あたしなどから見たら、まだ子供に見えそうな若い夫婦が子供を連れて通っていたりしています。

そんな中、妹の甥っ子は比較的軽い疾患だと思いますし、その他にも「この子のいったいどこが病気なの?」という子供もたくさんいます。外からではわからない病気や怪我もあるのでしょう。 もちろん、骨折など治療も比較的簡単そうな子供も見かけます。

そういう子供を連れた若い両親や祖父母の方々は比較的表情も穏やかです。でも、見るからに重傷、重篤な子供を連れた親というのは、やはり表情にも疲れの色が見えます。それに、母親一人で一人の子供を背負い、一人の子供の手を引いて、という人もいれば、夫婦で子供一人を連れている人もいます。母親とその両親が付き添っている姿も見かけます。

旦那さんが来ていない人を見ると、「ああ、子供の病気が原因で夫婦仲が悪くなっているのかな」と思うときもあれば、「旦那さん、今日は仕事が忙しくて来られないのかな」と思ったりします。どちらなのか、本当のところはわかりませんが、お母さんの表情を見ていると、なんとなく理解があって協力的な夫を持っているのかいないのか、わかるような気がします。

もちろん、夫婦で来ていても、実はそれは世間体を取り繕うためだけで、家では口喧嘩が絶えない夫婦もいるのかも知れません。そういう男女の機微、夫婦の間のことは、あたしには経験がないので全くわかりませんが、病院の待合でいろいろな人の表情を見ていると、なんとなく勝手に想像、妄想してしまいます。

かつて、日本の首相が「人生いろいろ」と国会答弁してましたけど、まさしく十人十色、千差万別の家庭が垣間見られます。

そして、これまた不思議なのは、子供を連れたお母さん、病院に来るのになんであんなに着飾っているの(?)、という格好の人もいれば、室内着のままで自分の姿には無頓着な感じの人もいます。いかにも家事に追われている主婦然とした人もいれば、そのまま丸の内のオフィス街を闊歩していてもおかしくないような人、あるいはホステスやヤンキーっぽい人、女優さんのようにきれいな人、見ていて楽しいです。

旦那の方も、スウェットのようなラフな格好の人もいれば、背広の人もいます。たぶん、そのまま自分は出社するのでしょう。あるいはこちらもヤンキーというか、ツッパリ高校生みたいなのもいれば、何をしている人なのか想像できないような人もいます。これもまた見ていて面白いものです。

ただ、夫に比べ妻の方が、病気を抱えた子供と向き合う時間が多いからなのでしょうか、全体的には疲れた感があります。待合室で見ていても、夫が一人で子供を連れてきているのはめったに見ませんが、母親が一人で子供を連れてきている姿は実に多いです。もちろん夫婦揃ってというのもいますが、お母さんが一人、という場合が実に多いですね。

だからなのでしょう。やはり疲れた感じのお母さんが散見されます。たぶん、実際の年齢よりはいくぶん老けて見えるのではないでしょうか? 時々、妹の旦那の代わりに病院通いにつきあってやると、こういう人生の縮図を見られて、楽しいというと不謹慎ですが、よい社会勉強をさせてもらっています。

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