2011年1月14日

青い麦

光文社古典新訳文庫の『青い麦』読了。

鹿島茂さんの解説によれば当時としては画期的な作品だったようですが、もう少し心の機微を描いて欲しかったというのが正直なところです。もちろん、主人公の少年、フィリップの、です。

幼くもない少年と少女、幼なじみで兄と妹のように育った二人が、いつしかお互いを異性として意識し始める、それはよくありがちな恋愛小説のパターンでしょう。そこに魅惑的な年上の女性が絡んでくるというのもおきまりだと思います。

コレットは直接書いていませんが、少年はその年上の女性によって大人の男となり、何度か逢瀬を重ねたようです。少女にはばれていないと思っていたものの、実は最初から少女にはばれていたという後半と、ついにはその少女と結ばれるというラストは、いかにもありがちなストーリー展開なのですが、それすらもこの当時としては画期的だったのでしょうか?

個人的には、少年を魅惑する年上女性が描ききれていないと思えますし、どうしてこの女性に少年が虜にされてしまったのか、よくわかりません。なので、少年が処女を裏切ったような罪悪感に陥って、言動が不安になっても、不安になることに説得力を感じないのです。

ところで、こういった恋愛小説では、年上女性が少年を振り回し、気持ちを不安定にさせ、時には少女の気持ちまでをかき乱すというのがよくある流れです。少年は二人の女性の間でひたすら情けない役回りしか与えられません。

でも、この作品を読んでいますと、フィリップがもてあそばれていたのは、年上の女性にではなく、少女・ヴァンカによってではないか、そう思えました。幼く見えて実はすべてお見通し、そこらの男性の考えることなんて、はなからお見通しという感じがヴァンカの態度には感じられます。時に泣いたり怒ったりするのも、すべて計算ずく、年上の女が何かしたって、そんなことくらい織り込み済みという余裕のようなものが垣間見えました。

これって、穿ちすぎでしょうか?

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