2011年1月10日

面倒臭い

「狂い」の構造』『無力感は狂いの始まり』読了。

一冊目の方がまとまりがあって読みやすかったです。昨年出た二冊目は、ちょっと話題が散らかりすぎてまとまりに欠けるところがあると思います。それと平山さんがメインで語って、それを春日さんが受け止めるというスタイルのはずが、受け止めきっていないところがかなりあり、もう少し精神科医としての専門家ならではの説が聞きたかったです。

ところで、本書を読んで、まずは一冊目のキーワードでもある「面倒臭い」って単語、あたしもよく使っているなあと感じました。別に口癖のように口をついて出る、というのではなく、心の中でしょっちゅうつぶやいている感じです。、もちろん実際に口から出ることもありますが......

なんて言うのでしょう、特に対人関係において面倒臭いと感じることが昔から多々あって、つまりは自分の思い通りにならないと他人との交流を断ってしまう、その言い訳として面倒臭いを使っている気がします。他人の心の中なんてわからないし、他人とは所詮わかり合えないんだから、わかり合おうなんて努力することが面倒臭い、と思ってしまうのです。

本書で使われている面倒臭いはもう少し病的というか、いわゆる「行っちゃってる」ところがあるわけで、それに比べれば、一応は社会人をそつなくこなしているあたしは常識人、普通の範疇に入っているのだと思います。

でも、二人が取り上げる狂っている人の心理というか考え方、理解できるところがかなりあって、読んでいると自分のことを言われているような気になることもままありました。たぶん、あたしは、すんでのところで踏みとどまっているけれど、何かきっかけがあったりしたら、一気にあちら側の人になってしまう恐れがあるような気がしてなりません。

もちろん、そんな要素は多かれ少なかれ誰にだってあるのだろうし、それにストップをかけ、あちら側へ行かないようにしている精神の働き(理性と呼ぶのかしら?)って、案外もろいようで強いものだとも思います。

あっちへ行ってしまうきっかけって、いったい何なのでしょう? そんな気がする読後感です。

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