2011年1月 7日

いかにもアメリカ人的

サラの鍵』読了。

各紙誌で絶賛されているだけあって確かによい作品です。でも、戦争中の無辜の民の悲劇を描けば、たいていの作品は素晴らしく見えてしまうような気がする、とひねくれた感想を持ってしまったのも事実です。

なんでそんな風な感想を持ってしまったかというと、前半というか最初から3分の2くらいまででしょうか、主人公の女性ジャーナリストの行動が鼻についてならなかったのです。歴史の真実を掘り起こすという作業は大切です。大事なことだと思います。誰かがやらなければならないことだとも思います。

でも、そういう作業には、一方で歴史に対する謙虚さというか、まだ生存している当事者に対する畏敬の念を持っていなければならないと思います。もちろん、この主人公がそういった気持ちを欠いている、無分別な人間だというのではありません。かなり悩み、葛藤し、打ちのめされています。

それでも、この主人公の行動には、他人がどう思っても自分の信じたことをするだけ、そして自分のやっていることは絶対に正しいと思い込んでいるところが感じられ、それがいかにもアメリカ人的な感じを受けます。言ってしまえば、独善的ということになります。

いま現在、世界の安定を脅かしている自爆テロなども、調停者としてのアメリカの独善が招いている部分がたぶんにあるのではないかと思っているあたしなので、どうしてもそんな風に作品を読んでしまうのかもしれません。

あと、だからといって虐殺が許されるわけではありませんが、歴史的にユダヤ人が嫌われる理由ということも、もう少し掘り下げて欲しかったところです。なぜユダヤ人というだけでこんなめに遭わないとならないのかとサラは言いますが、この手のユダヤ人が当序する作品にはありがちなセリフです。こう言ってしまっては身も蓋もありませんが、当時のヨーロッパ人(キリスト教徒)にとっては、その問いかけに答えるのは極めて簡単です。ただ一言、それはユダヤ人だから、と答えればよかったはずです。

二千年来の歴史が作り出した差別という温床があればこそ、フランス人もナチの蛮行にやすやすと手を貸してしまったのではないでしょうか。そういう意味では、主人公を取り巻くフランス人家族の冷めた反応、厄介なことを起こしてくれたという反発めいた態度も納得できます。自分たちが何か悪いことをしたのだろうか、という感想を持つ人はいまだに多いのではないでしょうか?

で、サラは両親や弟と永遠に引き離されてしまったわけで、そのことを終生心の重荷として背負って生きていったのですが、主人公が中絶を覚悟していたお腹の子供と引き離されずに済んだことは、小説の構成上予想できたこととはいえ、象徴的な気がします。そして、その主人公や彼女を取り巻く人々の多くが、離婚経験者であるということも、この作品のテーマである「別離」を象徴しているような気がします。

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