2010年12月19日

天智と持統

講談社現代新書の『天智と持統』読了。

まえがきで著者は本書が「天武と持統」ではなく、あえて「天智と持統」であることを強調しています。たぶん、あたしも本書のタイトルが「天武と持統」だったら手には取っても購入したかどうかはわかりません。「天智と持統」だからこそ、「あれ?」と思って買ったんだと思います。もちろん、目次も見て面白そうだったということもありますが。

あたし自身は古代史にそれほど興味があるわけではないですし、ましてや詳しいわけでもありません。でも、天智と天武兄弟天皇と額田王とのロマンスや確執、天智の娘の多くが天武の妻になっていること、天智の息子・大友は果たして天皇になれたのかなどなど、興味深い事柄には事欠きません。

そういう中で、これまでどちらかというと、たぶん世間一般の知識としては地味な存在であった持統天皇がここまで古代史において大きな役割を果たしていたとは驚きでした。

もちろん、著者が否定的に取り上げている他の学者の論考について、ではなぜ著者のような『日本書紀』の解釈が成り立つのか、という疑問がなくはないです。これなど、あたし自身の知識のなさのせいだとは思いますが、やはり今一つ納得できない部分もありました。

大友皇子が天皇と呼ばれるような地位に果たして就いたのか否か、これは確か明治天皇によって歴代に数えられるようになるまで天皇とは認められていなかったはずですよね。それと、天武の後、持統が皇位を継承することになったいきさつがやはり理解できません。天皇の后だから、というだけで納得してしまってよいのでしょうか。

あと、天智系と天武系の対立という構図がよく語られていましたが、著者も書いているように、これだけ天智の娘が天武の娘になっていることを考えると、天智と天武の対立など実際にはなかったのではないかという気がします。

更に、著者は中興の祖としての天智天皇を作り上げようとしていたと書いていますが、そこまではよいとしてその天智朝末年には既に奸臣によって滅亡の危機に陥っていたとなると、天智天皇って無能な君主ではないか、という気がしてなりません。壬申の乱を正当化するために天武側としては天智末年が乱れた時期であったとしたいのでしょうが、一方で天智天皇は英邁な君主と持ち上げつつ、その一方で末年には乱れていたというのは、ちょっと強引な気がしないでもないです。

唐の玄宗皇帝のような例はありますが、これには長い在位期間や楊貴妃といったわかりやすい外的条件がありますが、天智天皇にはそういうのがあったのでしょうか?

とはいえ、このあたりの時代に興味ある人には面白い本ではないでしょうか? もう少し天武天皇の役割について紙幅を割いてもよかったのではないか、という気もしますが......

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