2010年12月14日

亡君の恨み

本来なら旧暦で考えるべきなのでしょうけれど、そうでなければ、いくら現在と気候が違うとはいえ、12月の半ばで雪は降らないでしょうという突っ込みはおき、今日は赤穂浪士討ち入りの日です。日本人なら心躍ります。いや、踊っちゃいけないのか?

高校三年の時、受験勉強もろくにやっていなかったあたしは、放課後、わざわざこの日に泉岳寺までお参りに行きました。今から振り返ると何やってるんだかという感じですが、その当時としては「今日行かなければならない」という、ある種の強迫観念にさいなまれていたのかもしれません。

別にそれまで毎年この日に泉岳寺に行っていたわけでもなく、その後も泉岳寺に参ったわけではなく、とにかく高校三年のあの年のあの日だけ、なぜかそんな気になったのです。もしかすると、感じていないと自分では思っていたけれど、心の深いところでは受験のプレッシャーがあったのでしょうか? それがささやかな現実逃避に向かわせたのかもしれません。

で、忠臣蔵というと、忠義だ何だと言うkれど、やはりあたしは江戸城本丸御殿の復元、再建をやって欲しい、そう思ってしまうのです。話が飛躍しすぎかもしれませんが......

でも、往時の本丸御殿ができたなら、一日いても時間が足りないでしょうね。松の大廊下では当時の衣装の貸し出しとかやってくれないでしょうか(笑)。裾をふんずけてもらって、「上野介、待て!」とかって、にわか忠臣蔵ごっこ、です(笑)。

それにしても、最近では吉良はそれほど悪い人ではなかったということが言われています。地元では民衆思いの名君と慕われているとも聞きます。元禄事件の頃、上野介が何歳だったか知りませんが、年を取って意固地になったのでしょうか?

いずれにせよ、史実を追えば追うほど、内匠頭が斬りつけたほんとうの理由がわからなくなります。


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