2010年11月21日

アジア共同体的な

世界の成長センターとしてアジアに注目が浴びる中、最近は東アジア共同体とか、環太平洋経済圏といった、広域を一つのまとまりとする構想がやたらと目につく気がします。

たいていの論は、ヨーロッパ連合を念頭に置いて、そのアジア版をという目論見なのでしょう。それに対して賛成する人も反対する人もいますが、ヨーロッパの場合にはキリスト教という共通の基盤があるが、果たしてアジアの場合はどうであろうか、ということも同時に言われています。

つまり、アジア共同体といった構想は、まだまだ実現までは遠い道のりだということのようです。それはそうでしょうね。

個人的にはこんなことを考えます。前にも一度書いた記憶がありますが、また書きます。

漢字文化圏と言われる中国、朝鮮(南北)、日本、ベトナム。共に歴史的に中国文化の影響を強く受け、いずれの国も漢字を使って表記するという共通項があります。こういうところだけを取り上げて考えれば、他の地域の人、たとえば欧米人などは、日本人、韓国人、中国人はお互いに言葉が通じるんでしょ、完全にはわからなくても、だいたい何を言っているかくらいはわかるものでしょ、と思っても不思議ではないと思います。

それと、最近感じたのは、ミャンマーでようやく開放されたスー・チーさんです。

日本ではスー・チー女史と書かれることが多いようですが、アウン・サン・スー・チーと書かれることもありますよね? お父さんがアウン・サン将軍だとか。いま、あたしは「アウン・サン」と中黒を入れて書いていますが、これすら正しいのか否かわかりません。

ウィキペディアでは「アウンサンスーチー」と書くのが正しいように書いてありますね。

別に書き方の正しさを云々しようというのではありません。

あたしが言いたいのは、一方で同じアジアの仲間だと言っているのに、その一方ではその国の人の名前の表記のルールすら知らない間柄なんですよね。こんなんで、共同体が作れるのでしょうか? もちろん、何もかも同じでないと、共通していないと共同体を作れない、なんて言いたいのではありません。

ただ少なくともお互いを理解し合えないと、違っているということを認識しないと始まらないとは思います。それなのに、こんな基本的なことすら知らないなんて......

今回のスー・チーさんの開放のニュースを聞いたり読んだりしていて、そう感じたのです。

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