2010年11月16日

酒楼にて/非攻

光文社古典新訳文庫の『酒楼にて/非攻』読了。

「彷徨」と「故事新編」からのセレクトになっていますが、かつて岩波文庫の『故事新編』を読んだとき、それと前後して読んだ、同じく岩波文庫の郭沫若『歴史小品』の方が面白く読めた、という記憶があります(@_@)。

さて「彷徨」からの四編、「愛と死」だけがちょっとテイストの異なる作品という感じがしますが、どれも旧時代と新時代との狭間を生きる中国知識人の苦悩が読み取れます。苦悩と言うよりは、むしろ絶望に近いものを魯迅の作品からは感じますが、果たして魯迅自身はあの時代状況の中、どこに希望を見出していたのでしょうか。作品はどれも救いを見出しえないまま終わっているような気がしますが、それでもまだ魯迅自身は希望を失ってはいなかったのでしょうか。

ただ考えようによっては、魯迅の感じていたと思われる閉塞感、絶望感は現在の中国知識人でも共有できそうなものではないでしょうか。だからこそ、魯迅が時を越えて読み継がれているのかもしれませんが......。つまり、それほど中国は百年たっても変わっていない、と言えるのではないかとも思えます。

その一方で、最近の中国の若者も日本同様、既に魯迅などほとんど読まなくなっているとも聞きます。そこそこの経済的成功を勝ち得た人にとっては、多少の政治的不自由も気にならないということでしょうか。そうなると魯迅の感じていたであろう閉塞感など、全く感じていないのかもしれません。

逆に、貧富の差に苦しむ、現代中国の「負け組」の人々こそ、いま魯迅をどう読むのか、そういう興味を抱かせます。

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