2010年11月 2日

いのちの重さ

俳優の、いや、元俳優と言うべきか、それとも本人の意向(?)に沿ってクリエーターと呼ぶべきか、でも肩書きなどどうでもいいか、と思いつつ、つまりは水嶋ヒロが小説で賞を取ったというニュースのことです。

ネットでは出来レースだとかいろいろ言われていますが、まあその可能性は多分にありますね。でも、水嶋ヒロが書いたからということを抜きにして、その作品が面白ければ、素晴らしければいいじゃない、と素朴に思います。

あたしは、まだ読んでいませんし、発売されたからといって読みたいとは思いませんけど、賞を取ったか否かという他人の評価をあてにしないで、自分で読んで好きかきらいか、気に入るか気に入らないかを判断すればよいのではないでしょうか?

まあ、本当に出来レースだったのか否か、それは今後のあの賞の品格(笑)にも関わりますから、ポプラ社としては全否定するでしょうけどね。

ところで、その受賞スピーチなのか記者会見なのか知りませんが、水嶋ヒロが、これからも「いのち」をテーマに創作していきたいというようなことを語っていました。あのスピーチ自体、なんか作り物めいていて、とても大賞を取ったような作品を書いた人の言葉とは思えない、陳腐なものに感じましたが、とにかく彼は「いのち」について語っていました。

たぶん、命に関わるほどではないけれど、妻である絢香の健康というものが念頭にあったのかもしれません。芸能マスコミ的にはそこがまた美談として、「水嶋ヒロ、カッコイイ」という論調に繋がるのでしょう。

そんなニュースに重なるように、もう一つ「いのち」を考えさせられるニュースがありました。例の耳かき店員殺人事件です。とりあえず、地裁の判決は無期懲役。専門的な知識があるわけではないのですが、無期懲役なら10年くらい刑務所暮らしをすれば仮釈放になるのではないでしょうか?

そういうことから遺族は極刑を求めているのでしょう。だったら終審禁固のような判決を下すことは出来なかったのか、とも思いますが、そのあたりの専門知識があたしにはないので、検察側の死刑求刑に対して無期懲役ではなく終審禁固という判決を下せるのでしょうか?

ところで、この事件に対する個人的な感想は既に書きました

あたしは、殺人はよくないことだけれど、恋に狂った人間の感情の動きとしては、被告のやったことではなく、思ったことについては理解できると思いました。だから被告にとっては、死刑になって早くあの世の彼女(?)の元へ行かせてもらえるのが最高の喜びなのではないかとも思います。

いや、だったら偶発的とはいえ、祖母を殺してはいけないし、そんなに彼女のことが好きだったのなら彼女を殺した後に自分も自殺するべきだったのかもしれませんが、そこが人間の弱いところなのでしょうか?

いずれにせよ、無期懲役ということは、あたしなりに理解する被告の立場に立って考えると、生き地獄、半殺し状態なのではないかと思われます。つまり死刑よりも実は重い刑になっているという逆転現象です。

それと、被告は深く反省していると報道されていますが、いったい何を反省しているのか? そこがあたしにはやや疑問です。もし、あたしが被告と同じ立場なら、もちろんまずは捕まる前に自殺を図っただろうし、取り調べや裁判でも「早く殺してくれ」「彼女の元へ行かせてくれ」と訴え続けたと思います。

翻って、もし死刑=彼女の元へ行けること、という図式が被告の頭の中で成り立っているのだとしたら、こんどは遺族側の感情は複雑になりませんか? 報道では無期懲役に不満があるようでした。被告を死刑に、という遺族の気持ちももちろんわかります。

でも、被告が上のように考えているのだとしたら、「あの男を娘の近くへ行かせてなるものか」と思ったりしないでしょうか? そうなると死刑に処してしまってよいのだろうかというジレンマが生まれそうです。

もちろん、彼女は天国へ行ったけど、被告は死刑になって地獄へ堕ちるんだ、あの世で同じところにいるなんてことは決してない、と考えることもできます。でも、でも、被告が「あの世では彼女と一緒」と強く信じ込んでいるのであれば、遺族がどう思ったとしても、死刑は被告にとって救済になってしまうのではないか、という気もするのです。

難しい問題ですね。

あたしは全くの部外者で、こんな風にブログで好きなことを書けますが、もしあたしがこの裁判の裁判員に選ばれていたとしたら、こういったこと一切書けないわけですよね。ストレスがたまりそうです。

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