2010年10月26日

恋ってそんなものでしょ?

耳かき店員殺害事件、と呼ぶのでしょうか? そこのところはよくわかりませんが、いま世間で話題になっているあの事件です。

裁判員裁判で初の死刑求刑が出たということが話題になっていますが、ひとまずその件はおきます。あたしならどう判断するかなんて、そう簡単には言えません。判決には判例というものもありますし、どこまで客観的に見られるか自信はないですが、証拠だとか証言だとか、そういったものも自分なりによーく吟味しないとならないでしょう。

ただ、もしあたしが裁判員だったとしても、人の命を預かるという重さは不思議と感じません。あるいは、あたしが冷たい人間だからかもしれませんが、それよりも昨今の社会を見ているときに、もっと身近に死を感じるべきではないか、そういう意味で誤解を恐れずに言えば、死刑求刑された裁判に関与できるというのはよいことなのではないか、そんな風にも思えるのです。

死というものが身近にあればあるほど、命の大切さがわかるというものです。いつ死ぬかわからない社会に生きていればこそ、今を精一杯、真摯に生きようとするのではないか、そういうありきたりなことを考えています。もちろん、死とはほど遠い位置で生きていける、現在の平和な日本の社会というのは、それはそれで無条件に素晴らしいものだと思いますが。

で、閑話休題。

そんなことを書きたいのではないのです。

報道では、テレビでも新聞でも、一方的に女性に好意を抱き、その気持ちが受け入れられなかったから殺害に及ぶという身勝手で理不尽な行為、と糾弾していますが、それって身勝手でしょうか?

いや、身勝手なんでしょうね。それはわかります。

でも、確かに殺人はいけない、もちろん傷つけることだっていけない、それはわかっています。それでも、人を好きになったときの、この被告の心情というか心理、ものすごくわかります。誰かに恋をしたならば、誰だってとは言いませんが、多くの人がこんな感じになるのではないでしょうか? 少なくとも、心の動きとしては理解できるし、そこの部分までを身勝手とか理不尽と言ってしまうのはどうなのだろうか、そんな気がします。

だって、恋って理不尽なものでしょ?

被告はみずから死刑を望んでいるようです。

この気持ちもわかります。

自分の思い人が既に彼岸に行ってしまっている以上、自分もこの世に未練はない、むしろ彼女のいる彼岸へ一刻も早く行きたい、そう考えても何ら不思議ではありません。むしろ被告にとっては、いつまでも生かされることの方がよっぽど苦痛なのではないでしょうか?

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