2010年10月24日

これが優しさ?

薦められるままに、有川浩の『ストーリー・セラー』を読み始めました。先日読んだ『阪急電車』に引き続いて二冊目の有川浩です。



まだ三分の一くらいしか読んでいないのですが、しみじみ考えさせられました。

この後の話の展開はおくとして、ここまでのところ、主人公の「彼」が同僚の「彼女」の小説家としての才能に気づき、ただその前に既に「彼女」にほのかな好意を抱いていて、「彼女」の書いた小説をたまたま「彼」が読んでしまったことから交際が始まって、という流れです。

ありきたりと言ってしまえばありきたりですが、まあ、そこはよしとしましょう。

そのまま二人は交際を深め、ついには結婚へと至るのですが、その後も「彼女」は「彼」に読ませるためだけに小説を書きつづけます。そんな或る日「彼」は「彼女」に雑誌の懸賞に応募しないかと勧め、ここがいかにも小説らしいのですが、「彼女」は見事に大賞を射止め、売れっ子作家になっていくのです。

で、このストーリーもありきたりだろうが、できすぎだろうが、別にあたしにはどうでもいいのです。あたしが考えさせられたのは、こういう一つ一つステップを踏んで「彼女」が作家になっていくまでの「彼」の態度です。

「彼」は、心の底から「彼女」のことが好きで、そして「彼女」の文才が好きで、ステップを一段上ろうとする時にためらう「彼女」を勇気づけ、励まし、背中を押してやります、その後も「彼女」を支え、いつも一番身近なところから「彼女」を包んであげます。

そういう男性の態度をウザイと思う女性も世の中にはいるのかもしれませんが、読みながら、ふと、「こういう優しさが大切なのではないか」と思ってしまいました。そして、それこそが自分に一番欠けているものであることを自覚させられました。

例えば、「彼女」の文才をもっと世間の人に知ってもらいたいから懸賞に応募してみたらと勧めるくだり。あたしだったら、そういう気持ちになるだろうか、と考えてしまいます。もちろん、あたしには、生まれてこの方、恋人もいなければ、そこまで好きになったような人もいませんから、そもそも理解できないシチュエーションなわけですが、少なくとも積極的に「世間に知ってもらいたい」という気持ちがわき起こるとは思えません。

もちろん相手から「応募してみようと思うのだけど」と言われれば、「応募してみたら」と答えると思いますけど、あくまで「自分がやりたいならやってみれば」というスタンスであって、「彼女」の才能を開花させたいという気持ちからではないと思います。

第一、あたしに、この「彼」のように「彼女」を励まし、そばに寄り添ってあげるような行動、言動がとれるのか、そこが問題です。たぶん「好きにすれば」「やりたいならやれば」という態度を取ってしまうのではないか、と予想されます。

うーん、やはりこれはこれまでのあたしの人生で恋人とか親友というものを持ったことがなく、だから、そういった相手からの真剣な相談に相対したことがないためなのでしょうか? もし仮に、あたしに恋人なり親友なり、そう呼べるような人がいて、その人が本気で悩んだり迷っていたりしたら、あたしも親身になって一緒に解決方法を探してあげたり、励ましたり、背中を押してあげたりするのでしょうか?

いや、そんなことをしている自分が全く想像できませんね。

そんな親しい存在が周囲にいるという状況すら想像できません。そもそも、あたしに相談事を持ちかけるような人がこの世のどこにいるというのでしょう?

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