2010年10月18日

数年後のサイン会

最近のアイドル歌手などのコンサートは、超巨大な会場で、ほとんどお目当ての歌手の姿も見えないようなものが多いと聞きます。もちろん会場内に設置された巨大スクリーンでステージ場のアーチスト(タレント?)お姿は映し出されているわけですが、会場に来ているファンにとっては、歌を聴きに行くというよりも、会場で一体感を味わうことに意味があるとも聞きます。

ふーん、そんなものなのかと、コンサートなどに足を運ばないあたしにはよくわからないので、そんな観想しかありません。

でも、その場に参加しているだけでいい、そこにいるだけで一体感を味わうという感覚は、昨今のベストセラーのあり方に通じるものを感じます。

つまり、その本の内容が好きだから、興味を持ったからとか、著者のファンだからというのではなく、「いま世間で話題になっているから自分も乗り遅れまい」という感じが、コンサート会場に行ってコンサートに参加しているだけで満足、というのと似ている気がするのです。その本に関してはどうでもよく、みんなが持っている(買っている)から自分もそこに乗っかる、いま話題の本をちゃんと押さえているあたしが好き、という感情があるのではないでしょうか。

あざとく考えれば、読もうが読むまいが、好きだろうが嫌いだろうが、その作品が素晴らしいものだろうが駄作だろうが、売れてくれれば出版社や本屋としてはそれでよいのかもしれません。でも、そういう本の買われ方、読まれ方がよいのかどうか......

値段がどうなるかわかりませんが、これから流行るであろう電子書籍は、電子だからこそもっと手軽に簡単に、大勢の人の手に行き渡る気がします。つまり、より「当然あたしも持ってるよ」と言える人が増えるのではないかという気がします。本は「買う」ものであることは変わらないとして、「読む」ものではなく、ファッションアイテムの一つとして「持つ」ものになってしまっていると感じたのは、村上春樹の『1Q84』ではなく、『ノルウェーの森』くらいからだと思います。電子書籍の普及で更に加速するのでしょうか?

でも、ファッションアイテムの一つというのであれば、やはり装丁にも価値があるわけですから、電子書籍ではファッションアイテムにはなりませんよね? もちろんiPadなどの本体そのものはアイテムになる可能性はありますが......

ところで、電子書籍が普及した場合、サイン会ってどんな風になってしまうのでしょう? まさかキンドルとかiPadを持参して、タッチパネル上で著者がサインをするのでしょうか? それともiPadなどの本体ボディに油性マジックでサインをしてもらうのでしょうか?

たいていのサイン会は「当店で該当書籍をお買い上げの方に整理券をお配りします」となっていますから、書店が店頭で電子書籍を販売しない限り、そういう事態は起こらないと思うのですが、果たして数年後にはどうなっているのでしょうか? それともサインすらもネットで配信されてしまうのでしょうか?

先週号の「週刊ダイヤモンド」を読んでいて、ふとそんなことを考えてしまいました。

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