トラウマの地?
研修旅行初日です。
飛行機で広島までひとっ飛びです。
書店のことを書くのは、特に他意はないですが、やめておきます。それよりも広島と聞くと思い出す幼少時のことについて書きます。
あたしが小学校六年生のときですから、もう四半世紀以上も前のことです。当時、四国の松山に父方の親戚の一人が住んでいました。そこへ正月休みを利用して家族旅行に行ったのです。行きは東京駅から、当時はやりのブルートレインでした。朝起きて広島下車、そこから船で松山へという旅程でした。
松山では道後温泉へ行ったり松山城へ行ったりして数日を過ごし、帰路はやはり船で広島へ出て、そこから新幹線でした。
その帰りの広島で、新幹線に乗るまでの時間に余裕があったので広島観光をいたしました。と言っても、広島城と原爆ドーム、平和記念公園を見る程度です。資料館を見学したかどうかは覚えていませんが、たぶん見に行ったような気がします、自信ないですけど。
で、やはりたぶん夕食だと思うのですが、牡蠣を食べに行きました。今でこそ牡蠣は大好き、カキフライは最高ですよね、と言えますが、当時の小学生のあたしにとって牡蠣はぬるっとして美味しくはない食べ物でした。おそらく、それまできちんと食べたこともなかったと思います。ですから、そのときは「牡蠣なんかいやだ、ほかのものが食べたい」と言ったのです。
そうしたら、父親が牡蠣の本場に来て牡蠣を食べないとは何事か、と怒り出し、お前は食べなくていい、と言われ、両親と妹がカキフライ定食を食べている同じテーブルで、あたしは何も食べさせてもらえず、泣いてはいなかったですが、唇を噛みしめて家族が食べているのをジッと睨んでいました。
このカキフライを食べる前のことですが、平和公園でうちの両親が些細なことで喧嘩をし、妹と母、あたしと父という二つに分かれてしまい、両親ともに初めての広島という地理不案内の土地ではぐれてしまうという事態に陥ったのです。
当時はケータイなんてありませんから、いったいぜんたい、どうやって最終的に落ち合ったのか、子供だったあたしには記憶がありません。でも、子供心に「どうなっちゃうんだろう」という不安を抱えていたのを覚えています。
というように、広島はあたしにとって二つのトラウマがある土地なのです。数十年たって、またやって来ることになるとは......
飛行機で広島までひとっ飛びです。
書店のことを書くのは、特に他意はないですが、やめておきます。それよりも広島と聞くと思い出す幼少時のことについて書きます。
あたしが小学校六年生のときですから、もう四半世紀以上も前のことです。当時、四国の松山に父方の親戚の一人が住んでいました。そこへ正月休みを利用して家族旅行に行ったのです。行きは東京駅から、当時はやりのブルートレインでした。朝起きて広島下車、そこから船で松山へという旅程でした。
松山では道後温泉へ行ったり松山城へ行ったりして数日を過ごし、帰路はやはり船で広島へ出て、そこから新幹線でした。
その帰りの広島で、新幹線に乗るまでの時間に余裕があったので広島観光をいたしました。と言っても、広島城と原爆ドーム、平和記念公園を見る程度です。資料館を見学したかどうかは覚えていませんが、たぶん見に行ったような気がします、自信ないですけど。
で、やはりたぶん夕食だと思うのですが、牡蠣を食べに行きました。今でこそ牡蠣は大好き、カキフライは最高ですよね、と言えますが、当時の小学生のあたしにとって牡蠣はぬるっとして美味しくはない食べ物でした。おそらく、それまできちんと食べたこともなかったと思います。ですから、そのときは「牡蠣なんかいやだ、ほかのものが食べたい」と言ったのです。
そうしたら、父親が牡蠣の本場に来て牡蠣を食べないとは何事か、と怒り出し、お前は食べなくていい、と言われ、両親と妹がカキフライ定食を食べている同じテーブルで、あたしは何も食べさせてもらえず、泣いてはいなかったですが、唇を噛みしめて家族が食べているのをジッと睨んでいました。
このカキフライを食べる前のことですが、平和公園でうちの両親が些細なことで喧嘩をし、妹と母、あたしと父という二つに分かれてしまい、両親ともに初めての広島という地理不案内の土地ではぐれてしまうという事態に陥ったのです。
当時はケータイなんてありませんから、いったいぜんたい、どうやって最終的に落ち合ったのか、子供だったあたしには記憶がありません。でも、子供心に「どうなっちゃうんだろう」という不安を抱えていたのを覚えています。
というように、広島はあたしにとって二つのトラウマがある土地なのです。数十年たって、またやって来ることになるとは......
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