2010年10月 8日

至高の恋愛?

片思いは至高の恋愛である、そうである。

はあ、そうなんですか? なら、あたしなんか、もう四半世紀もの長きにわたって「至高」状態だわ(笑)。だって、高校の時に好きだった子が忘れられなくて、ここまで来てしまったわけですから。

こんなあたしを「至高」と呼んで甘やかしてよいのでしょうか?

ダメでしょう、ダメですよね? むしろキモイ、キショイ、と言われるのがオチでだと思います。で、こんなお題です。

恋人がいる人を好きになったときにするといいこと

恋人がいる人を好きになるなんて、まさに究極の至高状態、だと思います。で、そういうときに、何をすればよいというのでしょうか? じっくり聞いてあげようじゃないですか(笑)。

ただ、まず気になるのは、このコラムの筆者は「好きになった人が彼氏持ちだということを知ったら、自分には叶わぬ恋だと悟って諦めていたのです」と言います。これはわかります、というか、男女を問わず、ほとんどの人は結果的にこういう行動を取っている(諦めているわけですから「行動を取る」というのも変ですけど......)のではないでしょうか?

ところが、この筆者、あるときから考えを変えて、ダメ元で告白することにしたらしいのです。別にそうするようになったのは個人の自由ですから、そのことで筆者を責めるつもりはありません。ただ、そうするようになった理由として「何があっても後悔だけはしたくない」と書いているのです。

あたしが理解できないのはここです。

告白をしないと後悔するのでしょうか? 諦めることが後悔に繋がるのでしょうか?

あたしはそうは思いません。恋愛に限らず、諦めるも諦めないもすべて自分が決断したことであり、それなりに考えた上で出した結論のはずです。一度結論を自分なりに出した以上、もう後悔などしない、というのがポリシー、と言うほど大袈裟なものではありませんが、あたしなりの考え方です。

ですから、諦めると決めたのなら、それでもう後悔などしません。いや、女々しく後引きずっていたとしても、それは後悔とは異なります。

それに、告白したとして、その後どうなりたいというのでしょうか?

その相手を困らせるだけなら、そんなことはしたくないですし、相手が恋人と別れてくれることを願うのでしょうか? それって悪魔的、とても至高とは呼べないですよね。筆者が書いているのですが、「時機が巡ってきて恋人と別れたり、距離をおいたりしたときに、チャンスが回ってくる可能性が大いにあるのです」という心の持ち方は、至高と言えるのか、ピュアなものなのか、果たして美しいと言えるのか、どれもあたしには疑問なのです。

では、もし仮に、その人が恋人と別れたとして、さらなる第三者と恋人同士になる可能性はもちろんありますが、そういうときに自分にも可能性が出てきたと喜んでしまうのは仕方ないでしょう、人情です。で、うまい具合に自分と付き合うことになった、恋人同士になれたとします。

そういうときに、どう思いますか?

相手がれまでの恋人から簡単に自分に乗り換えてしまうことに戸惑いはないのでしょうか? もちろん「簡単」と書きましたが、本人にとってはいろいろな苦労や葛藤、つまり外に出せない思いもあったかもしれません。それでも、あたしには、少なくともあたしには、あっという間に恋人を取り替える、切り替えるという行為が納得できません。

もしこれが逆の立場だとしたらと考えますと、つまり自分がある恋人と別れて、すぐに別な人と付き合うようになったとしたら(そんな経験全くないのであくまで想像上ですが...)、あたしは自分の気持ちに自信が持てなくなります。

そんな簡単に好きだった人を諦められるのか、そんなに簡単にまた別な人を好きになれるのか、自分ってそんなに気持ちがぐらつく人間だったのかと、自分で自分が嫌いになることでしょう。そして、そんな自分の気持ちが信じられなくなります。

今までの恋人に対する気持ちはうわべだけのものだったのか、いままたあたし楠木になった人への気持ちも、ある日突然まるでなかったかのように消え失せてしまうのだろうか、そんな疑念を抱いてしまいます。

いや、もしかして気持ちが切り替わるのではなく、一つ一つ丁寧に心の中で畳まれて、上にかぶせられていくものなのかもしれません。でも、少なくとも、どっちの立場にしろそういう経験がないあたしには、わからないし自信が持てないし、許容できる感情の動きではないのです。

コラムの終わりの方で「無理にあきらめる必要もないのです。何があってもずっと想いを守り通すこと」とあるのはその通りだと思いますが......

それにしても、ちょうどよく、こんなコラムもありました。

告白する勇気を絞り出す方法9パターン

読んだ感想を書く