2010年9月29日

日本語の哲学へ

ちくま新書『日本語の哲学へ』読了。

久々に、本を読んでワクワクしました。日本語ってスゴイ、というミーハーな読後感もありますが、日本語だからこそ切り拓ける哲学の地平、デカルトからヘーゲル、ハイデッガーなど並居る西洋哲学の偉人を向こうに回し、彼が悩みまくった問題を日本語で捉え直す、それだけでも鳥肌ものの興奮です。

あたしは推理小説はほとんど読みませんが、たぶんそういった本の「この先はどうなるのだろう」「結末はどうなるの?」といった期待に満ちたワクワク感と似た感じではないでしょうか? そのくらい先が楽しみでした。きっと文芸書を読んでいたのでは味わえないような楽しさ、興奮だったと思います。

いや、こうかいてしまうと文芸書をバカにした感じになりますね。そうではありません。興奮の種類が異なるわけですから。文芸書を読んだとのは異なる楽しさ、と言うべきでしょうか?

「こと」と「もの」、漠然とふだん意識もせずに使っているこの言葉、この言葉を著者のように分析していくと、西洋哲学では見えてこないものが見え、西洋哲学では解けなかった問題がいとも簡単に解けてしまう、それってものすごくわくわくすることではないでしょうか? 別にだから日本語がすごいんだ、と偉そうに言うつもりはなくとも、やはり誇らしい気分にはなります。

で、著者もまだまだ「日本語の哲学」の入り口に立ったばかりと書いているように、こういう日本語だからこそ構築できる哲学とはどんなものなのか、日本語だからこそ構築できる哲学とはどんなものなのか、著者の次の著作に期待です。

それにしても、こういった小難しい話を、新書というコンパクトなスタイルtでまとめる力量、そして章立てが実にリズムよく並んでいる構成。そういったところも素晴らしいです。

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