2010年9月 7日

仇討ち

昨夜はTBS系のドラマ「ハンチョウ」を見ておりました。見ていて、ちょっと気になるというか、考えてしまったことがありました。

昨夜の放送を簡単に振り返りますと、10年の刑期を終え出所した男がナイフで刺されて殺されました。その直後、現場付近で具合が悪くなって倒れていた青年(確か、KAT-TUNのメンバー)が事情を聞かれ犯行を自供しました。服についていた血などから、ほぼその青年が犯人で間違いないという感じです。ところが刑事たちは何となく腑に落ちないのです。

その青年は末期の癌で、あと二、三か月しか生きられないほどの状態で、出社したばかりの男というのは、十年前に青年の妹、当時小学生を暴行して殺した犯人だったのです。青年曰く、妹を殺された復讐、敵討ちだ、と。また曰く、どうせ自分はもうじき死ぬのだから罪に問えないだろう、と。

刑事たちは、たとえ妹を殺した憎い犯人であろうと、それを殺すことは許されない、自分が死ぬから罪には問われないなどとは思わず、きちんと罪の重さを自覚しろと諭します。でも、もし自分が病気であと僅かしか生きられないとしたら、そして家族を理不尽にも殺された立場だったら、この青年と同じように考えてしまうかな、少なくともこの青年の理屈には理解できる点が多々あるなあと思ってしまいました。もちろん、罪の重さを自覚しろなんていう刑事のご高説は説教臭くて聞く耳なんか持ちません。

ただ、あたしが気になったのはそういう点ではなく、その後です。この青年は結局犯人ではないのですが、まだそこまで話が進んでいない段階の独白で、「妹を殺した犯人を殺したら気分がすっきりするかと思ったけど、そんなことはなかった」と刑事に語るのです。

まあ、現代劇、刑事ドラマ、それもヒューマンドラマである「ハンチョウ」ですから、当然と言えば当然のストーリー展開であり、セリフなのですが、これに違和感を感じました。

あたしがこのシーンを見て最初に思ったのは、妹の復讐をやり遂げたのに、そんな感想しかないのか? だったら忠臣蔵はどうなっちゃうの? 主君の無念を晴らすためだけに生き、そして見事本懐を遂げた忠義の家臣たちの義挙やその志はどうなっちゃうの? というものです。

もちろん時代背景も価値観も、そしてなにより死生観が全く現代とは異なる江戸時代の話です。同じレベルで語るなと言われてしまえば返す言葉もありません。でも、忠臣蔵が好きなあたしとしては、敵討ちを遂げて心が晴れ晴れしないなんて、そしてそんな行為が間違っているかのように言われるのは何とも腑に落ちません。

よくこういったドラマや映画で出てくるセリフに「そんなことをして、死んだ●●が喜ぶと思っているのか!」という説得の言葉があります。実際のところはどうでしょう? 案外喜ぶ人もいるのではないかと思います。特に理不尽な犯罪の場合なら。少なくとも浅野内匠頭は無念の気持ちを残して死んでいますよね? 「風誘う、花よりもなお、我はまた、春の名残を、いかに解かせん」でしたっけ、辞世の句。「お前たち、余に代わって吉良を討て」と哀願しているますよね? 少なくともこの句は、あたしにはそう思えます。

ちなみに、もしあたしが今、愛する人を理不尽な犯罪で失ったらどうするかしら? 今回のドラマの主人公のようにあと少しで死んでしまうなら復讐するかもなあ、とぼんやりと思いながらドラマを見終わりました。

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